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ボランティアをする意味

ある社会福祉法人の開局記念式典に参加した。

詳細は書けないが、生きづらさを抱える人のメンタル的な支援を、
寄附金とボランティアで支援している団体である。
それが40周年を迎えた。
医学的見地から、あるいは宗教的、国際的、死生観、幸福とは、生きることとは、死ぬこととは…
様々な角度でトークセッションを交えた講演内容だった。

時代が変わり、人間も歳を重ねて変化していくのに、
辛い、苦しい、寂しい、
息をすることさえ大変な人たちは減らない。

戦争を経験したある高齢者は言う。
「今の若いもんは弱い。すぐ逃げようとする甘えん坊だ。親は戦死し、食べ物もない、いつ死ぬかわからない中で必死に生きたら、弱音なんか簡単に吐けない」と。

私はそうは思わない。
今の若いもんも必死に毎日生きている。薄給で物価高だって戦争みたいなものだ。
気薄な人間関係だって、家族に簡単に捨てられるのだって、同じくらい孤独で不安で恐怖なのだ。
心も体も安全保証されている社会など、今だってないのだ。

私はこの団体のボランティアスタッフの一員ではあるが、
支援される側の人間でもあると自覚している。

どんなに辛くても、私と同じように苦しんでいる人がどこかにいるということが、孤独を紛らわせ、不安を軽減できる。
人に支えられて私がいると思える。

これからも自分のために、苦しむ人たちに寄り添っていきたい。

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