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偏頭痛と私①

私はよく頭が痛くなる子供だった。

記憶は定かではないが、おそらく9歳の時点では頭痛に悩まされていた。

私は現在30代前半、頭痛とは20年以上付き合っていることになる。


子供の頃

気の持ちよう。

これは頻繁に頭痛を訴える私に母がよく言っていた言葉である。20年前は子供の偏頭痛など一般に認知されていなかっただろうからまぁ仕方ないと思う。母がよくこう言ったのは実際何度か私を医者に連れていき、頭部のCTを撮影して何の異常もないからという理由もあったようだ。

検査で異常がないのに頭痛を訴え続けて習い事を休むようになった母はイライラしていた。高学年になると学校を早退することを勝手に決めたりしていたので、その度にパートを早退することになる母はますますイライラしていたと記憶している。

「気の持ちようなんだから痛くないって思えばいい」と母に言われて、そう思ってみても痛いものは痛いし、私の場合、頭が痛くなる前にあくびが異常に出て授業中にあくびをしまくって涙をボロボロ流しているからそれはそれは先生に嫌われる。

みんな頭痛くないのかな?とよく考えていたことをこれを書いていて思い出した。

小学生のうちは自宅の薬箱にある鎮痛剤を時々飲む程度だったと思う。私としては痛いときは毎回薬が欲しかったのだが、母に子供が飲みすぎるのは良くないと言われてあまり飲んでいなかったと思う。

高校生になってからは鎮痛剤を飲む回数がすごく増えた。アルバイトをして、自由に使えるお金が増えたからだ。ドラッグストアでイブプロフェン系の鎮痛剤を買って飲んでいた。

自分で薬をコントロール出来る事は私の心を軽くした。

うまく言い表せないのだけど、頭痛がおきる前に頭の中にモヤのようなものがかかる。痛みではないのだけれど何だか不快な感じがするのだ。鎮痛剤の服用に慣れてくると、痛みではなくその前段階のモヤの時点で薬を飲むようになっていた。

それで薬が効いて、頭がすっきりすれば良いのだが、そうなる時とならない時がある。ならない時にはまた1錠追加、「今日はすごく痛いから1錠多めに飲んじゃお」なんてやっていた。

社会人になって

そんな感じで頭痛と付き合いながら22歳になる年に社会人になった。

私には密かに心の拠り所にしていた母の言葉があった。

「大人になっていっぱいお給料もらえるようになれば、買い物が楽しくて頭痛くなくなるよ」

はーーーーー嘘。大嘘だった。

給料は少ないし、そのお金で買い物しても頭は痛いままだった。

痛くなくなるどころか、頭痛の回数も痛みの強さもどんどん増していく。

それに比例して鎮痛剤を飲む回数も錠数もどんどん増えていく。

新卒で入ったところが人間関係も業務内容もなかなかのブラックだったので痛みはストレスで増しているのかななんて考えていたのだが、その後に働いた居心地の良い職場でも頭痛は相変わらずだった。

ここまでくれば流石に自分は偏頭痛なんだと理解していた。ネットがあるから当然調べる。クリックしてレ点を付けて最後に判定が出る簡易自己診断みたいなのをよくやって、偏頭痛と緊張型頭痛の混合タイプと判定されて、それに「うん、うん」と、納得していた。

偏頭痛は体質なんだから仕方ないと諦めて、薬をラムネのように口に放り込む日々が続く。

この時はすでにロキソニンがドラッグストアで購入可能になっていたのでロキソニンは私の中で神だった。価格が高いのがネックだったのでロキソニン一本に絞れないのが残念すぎた。 

②に続きます→→→

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