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短編小説1*ほつれた赤い糸


ー ほつれた赤い糸 ー


彼と出会ったのは3年前。
夜道で突然声をかけられた。

「お姉さん今ひま〜?……ってあれ?
 お姉さん、前に俺と会ったことない?」
「ありません」
「いやいや、絶対前に会ったことあるって!」
「ありません。急いでるんで」
「ちょっと待ってよ〜ぉ!
 会ったことなくてもいいやーお茶しに行こう?」
「行きません」
「じゃあ、ご飯行こ!」
「行きません」
「じゃあじゃあ〜、ホテル行こう!」

「あなたねぇ!行くわけないでしょ!」

つい、足を止めてしまった。

「やっと止まってくれた〜!お茶だけ!お願い!」


私たちの出会いはコレ。
ある意味、なんの変哲もないナンパ。
王道中の王道の誘い文句。

いつもなら、振り切るか無視できるのに。
なぜか彼のテンポに上手く乗せられてしまった。


……きっと、彼が“赤い服”を着ていたからだ。


その日、本当にお茶だけして帰ってきた。
年齢は私の2コ下で、バーで働いているらしい。
確かに、見るからにそんな感じの格好をしていた。
上着の“赤”を除いては。

私の話はほとんどせず、彼の話をただただ聞いて……
「またお茶してね!これ俺のID〜連絡待ってるー」

ナンパしてきた割には、あっさりとした時間だった。


その後、連絡することなく一ヶ月が経った。
「お姉さん今ひま〜?……ってあれ?
 お姉さん、前に俺と会ったことない?」
いつもの、ナンパの常套句。

「ありませ……」
「あ〜!あのときのお姉さんじゃん!
 全然連絡くれないんだもん〜元気してた?」
「はい。」
「お茶……、いや、ご飯行こう?」
「行きません」
「えー行こうよ〜!じゃあ、お茶しよ!お茶!」
「……うん」

いつかまた会えるんじゃないかって期待してた。
そして、偶然にも、同じ台詞でナンパされた。

「いや〜偶然ってすごいねー!
 俺、お姉さんに会いたかったんだよー!」

そう言われても、同じ台詞でナンパされたことが
少し悲しかった。
きっと、他にもたくさんの人に、
同じ台詞で声をかけているんだろう。

「今度こそ、連絡待ってるからね〜!」
そう言って、彼は私の連絡先を聞くことなく、
またあっさりと帰っていった。

「やっぱり、ただのナンパか……」
そう独り言を言いながらも、
あの無邪気な彼の笑顔が頭から離れなかった。


そして、更に一ヶ月後。
「お姉さん今ひま〜?……ってあれ?
 お姉さん、前に俺と会ったことない?」
「ありま…す……」

「え?ある?まじで?…って、いやあるある!
 会ったことあるよね〜?」
「あ、いえ……間違えました」

彼の声に似てたし、常套句が同じだったもんだから、
思わず“あります”って答えてしまった。
それに、紛らわしい。
赤い服着てたし。
にしても、あのナンパの常套句……流行ってるのかな?


「お姉さん今ひま〜?……ってあれ?
 お姉さん、前に俺と会ったことない?」
ほらまた全く同じ台詞。

「ありません」
「え?あるよー!あるある!3回目だよ?」
「あ!……ります」
「よかった〜!お茶しよー!」
「行きません」
「えーじゃあ、今日こそご飯行こう!」
「行きません」
「なんで〜?じゃあ、お茶だけでいいから〜!!」
「行きません」
「えー行こうよ〜!じゃあ……ホテル…行こう?」
「……はい」

自分から連絡すれば、またすぐ会えるとわかっていながら、赤い糸に運命を託したかった。
三度目の正直にしたかった。
そして今日、その赤い糸が繋がった。
そして、いつものお店がある方向とは反対方向の道を歩いていった。
その夜道で、初めて手を繋いだ。
そのあと、初めてキスをした。


腕まくらが心地良い。



「俺さ……実は結婚してるんだよね……」



……赤い糸が一瞬で切れた。


運命の赤い糸だと信じていたのに。



次の日。
「今日も会えませんか」
初めてメッセージを送った。

「21時にいつものところで」
名前も名乗らなかったのに、
彼からすぐに返信があって少しびっくりした。


20時50分。
いつものところに少し早く着いた。
人混みをただ見つめて待つ。
「赤い糸、切れたのに……なんで自分から連絡しちゃったんだろう私……」
ボソボソと独り言を言いながら、
今になって連絡したことを後悔した。

「赤い糸?俺の服ほつれてる?」
彼の声。

「あ、いや……うん、ここの糸が。」
慌てて彼の赤い服に見つけた、ほつれている糸のことにした。

「え?ほんとだ!これって切っても大丈夫かな?」
「わからない。切ったら解けてくるかも」
そう言いながら、また昨日と同じ夜道を歩く。


今日の腕まくらに心地良さはない。
「聞いてもいい?なんで連絡くれたの?」
「……会いたくなったから」
「まじ?うれしー!明日も会える?」
「……うん」

そうして私たちは、毎日いつものところで、同じ時間に待ち合わせをした。


5日目の20時50分。
いつもの場所で、いつものように、
ただ行き交う人を見つめながら彼を待っていた。

突然、目の前に女の子が現れた。
「お姉さん、ハンカチ落としたよ?」
「あ、ごめんね。ありがとう。」
「パパ〜!お姉さんのだったー!」

女の子が向かっていくその先に、
赤い服を着た彼らしき人が立っている。

ちょうど、顔にライトの光が当たって判別できない……
だけど、あの赤い服は彼のだ。
顔を確認せずとも、絶対に彼だと確信した。

女の子と一緒にこちらに向かってくる。


私は人混みに紛れて逃げた。

だって、彼と私の“赤い糸”は切れているのだから。


その日から3日後。
また私は、いつもの時間にいつもの場所にいた。
彼が駆け寄ってくる。

「この前はごめんね!」
「いや、大丈夫……」


大丈夫なんかではなかった。
けど、強がった。


そしていつもの夜道を歩く。


今日の腕まくらもやっぱりだめだ。
「俺さ、お姉さんとずっと一緒にいたいな」


「それ、嘘だよね……。」
喉の奥まで来ていた言葉を、喉で震わすことなく飲み込んだ。



その日から、半年以上が過ぎた。
連絡は取っていない。
取る気もない。
あの数日間は、切れた糸をただ結び直していただけだ。
切れていないと思いたかっただけ。
だけど、最初から切れてしまっていた。
むしろ、元々繋がってさえいなかったんだ。
仮に繋がっていたとしても、
切れてしまったものはもう元に戻すことはできない。

結び直してしまった糸を、自分でまた切った。


切ったのに、たまに……
「お姉さん元気ー?会いたいよー」

彼から赤い糸が伸びてくる。



***



このほつれてる糸って切っても良いのかなぁ?
切ったらダメ?解けてくる?
中に押し込んでも出てくる。
忘れた頃にまた出てくる。
普段は忘れているのに。
ふと出てきた時に、
そうだったまた切るの忘れてた!
って思い出す。

今日こそ切ろう。

ハサミを持った手がプルプルと震える。
プルプル震えていた手が、ブルブル震え出した。
身体もブルブルと震え始める。
こんなに身体が震えたこと……
今までの人生で一度もない。
奥歯をギッと噛み締めて……


ブスッ


ガタン



彼は膝から崩れ落ちた。


運命の赤い糸は、鮮やかな血の赤に染まった。


「俺……さ、離婚し…たんだ……」


その声を聞いて、ハッとした。


彼のお腹の傷を押さえる私の手も、どんどん赤く染まってゆく。


「ごめんなさい……!ごめんなさい……!」

「お姉…さんも……俺と、一緒にいたいって……思っ…てくれてる?」

「ごめんなさい……!ごめんなさい……!」

「ごめん……って…ことは、一緒に…いたくない……ってことか……」

「違う!一緒にいたいの!
 一緒にいたいから、私だけ見て欲しくて……!
 本当にごめんなさい……救急車呼ばなきゃ!」

「不思議と…あんま……り痛くないんだよね……」

「きゅ、救急車一台お願いします!住所は……」

「こん…なに血出てる……のに痛く…ないって……
 俺…死ぬの……かな?」

「傷口をハンカチで押さえる……!はい!わかりました!」


119番にかけた電話口で、処置の仕方を教わりながら、持っていた赤いハンカチで傷口を押さえる。
夢中で押さえていたから、どのくらいで救急車が到着したのかは覚えていない。


「大丈夫ですかー?わかりますかー?
 救急車きましたよー?お兄さん名前言えますかー?」

「はい……タカヤマです」

「あなたは?奥様ですか?」

「いえ、私は……」

「お、俺の、婚約者です……」

「あ、婚約者さんね〜。
 じゃあ、一緒に救急車乗ってください。」



病院に着き、彼は処置室へと運ばれて行った。
私は、待合室に座っていた。
自分がやってしまったこと、彼が言ったこと、
頭が真っ白で何一つ考えられない。


「タ……さん!タカヤマさん!」
看護師さんから自分が“タカヤマ”と呼ばれていることに、全く気付かなかった。

「あ!はい…すみません……」

「ご主人、傷はかなり……“浅く”て、縫合はせず、
 消毒と薬塗って処置しましたので。」

「……あ、ありがとうございました」

「ハサミで本当によかったですね〜!
 もし包丁だったら、“転んで自分で刺した”としても、
 命に関わるところでしたよ〜!」

「そ、そうですか。あ……ありがとうございました…」

「ただ、傷の割には出血が多かったので、
 今日一日入院していただくことになりましたから」

「入院ですか……わかりました…。
 あ、あの、私も朝まで付き添うことは……」

「大丈夫ですよ。今日個室しか空きがなくて、
 もう部屋に移動していますので。
 奥様の簡易ベッドもご用意しましょうか?」

「ありがとうございます……お願いします。」


病室に入ると、彼はベッドですやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
私はベッドの横の椅子に座り、彼のベッドに上半身だけもたれ掛かる。
彼の横はやっぱり心地良い。

目を閉じて彼の鼓動を感じる。
“生きていてくれてよかった”という安堵の気持ちと、自分がしてしまったことへの後悔の気持ち、そして、彼が言った“婚約者”という言葉の意味を考えていた。


ガラガラガラ……


「簡易ベッド置いておきますねー」

「あ!ありがとうございます!」

「奥様もゆっくり休んでくださいねー」

「すみません。ありがとうございます」


“奥様”という耳馴染みのない言葉に、少し戸惑いながらも嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまった。


「あ、お姉さん笑った〜!いてててて……」

「あ、あの!私本当に、何とお詫びすれば……
 いや、お詫びどころじゃ済まないですよね。
 私、警察にあなたを傷つけてしまったこと言いに…」

「え?警察?自分で転んで自分の腹にハサミが当たった
 だけじゃ、お巡りさんも“それは災難でしたね”
 って同情しかしてくれないよ〜?」

「だって、私があなたを……」

「あ!そんなことより〜!
 俺のサプライズどうだった?っていうか、
 さっきの言い方じゃプロポーズにならないか?」

「プロポーズ……ううぅぅぅ……」

「え!まだ泣かないでよ〜!
 今からもう一回感動のサプライズ!
 そして、お姉さんは嬉し泣きするんだからー!」

「これってもうサプライズじゃないよ……ううぅ……」

「いや、そうだけど!そこは大目に見てよ〜!
 よし!いくよ!こっちきて!」



今までで一番の腕まくら。

耳元で聞く彼の声が、緊張で震えていた。

彼の緊張につられて、私の声も震えていた。


「は……い……うぅぅぅ……」



***



一度切れた赤い糸。

切れた糸は元には戻らない。

だけど、

新しい糸を結び直すことはできる。

今度こそこの赤い糸が切れませんように。





Fin.

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