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短編小説「だれかの花」

私の家は都会ではないが田舎の特徴も持ち合わせていない中途半端な地域にあった。団地の一角にあるどこまでも普通の一軒家である。私は生まれたときから都内の大学通うために家を出るまでこの家で育った。家族もごく普通のどこにでもいる家族だと思う。両親と2歳下の弟の4人暮らしで母は穏やかで感情をあらわにすることは少なかった。父も寡黙な人で休日にはレジャー施設に連れて行ってくれたが父自身の趣味というのは本を読むことくらいだ。そんな両親は互いに会話することが少なく惹かれどのように仲を深め結婚にいたったのか、幼い私には不思議でたまらなかった。ところが仲が悪いということもなく大きな喧嘩をしているのを見たことがない。人や環境に少なくとも嫌われていなかった私は大きな病気をすることはなく、学校にも毎日通い、すくすくと育ち今は都内の大学に通い動物倫理を学んでいる。受験する大学の決定を迫られたとき、私が動物倫理を学びたいと考えた理由はすでに忘れてしまった。動物を飼ったことも育てたことも、植物を育てたこともなく、特に好きだったわけでもない。
人はいつまでも脳裏に居座る忘れられない記憶というものをいくつか持っているものだ。私が持つ1つの生き物にまつわる記憶がある。この出来事がいつか私を苦しめると予感した小学5年生の時の1週間の記憶。

 私は毎日、小学校まで徒歩で通っていた。20分ほど住宅地や公園を横目に見ながら歩く。それらの光景の中で私が最も気に入っていたのは橋からの風景である。小さな川の上に架かっているありきたりな橋の上から川を眺めることが私の日課であった。学校からの帰り道、橋の上に立ち川へ体を向け右手の方向を見るといつも数羽の鳥がいた。カモが川の流れとともに泳いでゆく様子に安心し、たまに現れるサギの体の曲線美に感心した。反対に1羽の鳥もいないと橋の上から見える景色はイチゴのないショートケーキのように大事な何かが足りない気がした。

 雨が続きじめじめとした空気が漂う日、私はいつも通り学校からの帰り道を歩いていた。3日前から電柱の工事のために橋の手前の歩道が封鎖されており私は橋とは反対側の歩道を歩いていた。工事中の三日間は鳥の観察ができなかったが生活に支障は生じず、川から鳥を眺める習慣があったことすら忘れかけていた。工事が始まってから4日が経ったその日、工事は終わり通常通りの道が使えるようになっていた。しかししばらく橋と反対側の歩道を歩いていたせいでその日も橋のないほうの歩道を歩いていた。ふと歩道の端に何かが落ちていることに気が付いた。初めは誰かの落とし物か動物の糞だと思い通り過ぎようとしたが近づくにつれそれが動いていることに気づく。よく見るとそれはすずめほどのサイズの鳥であり、時より羽をばさばさと羽ばたかせるが飛べそうな様子はなかった。私がいつも眺めるカモと違い羽は柔らかくもろもろと崩れてしまいそうに見えた。一方でまじかでみるその鳥の目は何かにおびえながらも自分自身を生かそうとする強さがあり、それはサギの美しさよりも私の胸を打った。雨が乾いたら飛べるようになると思い木の下に体育座りをしながら鳥の様子をしばらく眺めていたが一向に飛び立つ気配はなくむしろ力を失っていくように見えた。その鳥のことを哀れだとは思ったがかわいそうとは思わなかったし、このままこの鳥が死んでいくことに悲しさも感じなかった。数分前に出会った瀕死の鳥に感情移入できるほど私の共感力は高くなかった。しかしおいてゆくことにはためらいがあった。このままおいていったら明日の登校時、こちらの歩道が気になって仕方がないだろうし、なにより命を見捨てることに罪悪感はある。幼い時に母親から聞いたであろう野鳥は病気を持っている可能性がある、という知識から私はランドセルから取り出したハンカチを使って鳥を包み家に持って帰った。
 
 いつもより帰りが遅い私を心配したのか、母は玄関の掃き掃除をしながら私を待っていた。私は母に鳥を見せ元気になるまで家に置いておきたいと伝えた。
「あら、かわいそうね。この子のおうちを作ってあげましょう」
そういう母の声には憐れむ気持ちより安心した様子がよく表れていた。私はうなずきながら家の中へ入り母と鳥の家を作った。昨日のおやつに食べたビスケットの空き箱にタオルとキッチンペーパーを敷きその上に鳥を乗せた。振動を与えないように慎重に運んできたつもりだったがその鳥は拾ったときよりもぐったりしていた。目に宿っていた光も薄まり、あきらめの表情にも見えた。きちんと手を洗った後、母と一緒に鳥のエサについて調べた。家にあったパソコンを開き、鳥 食べ物 と打つ。学校でもパソコンの授業があったが家で使うパソコンを使う際はいつも違和感を感じた。煙草やお酒を目の前に出されたときのような妙な間隔がパソコンの武骨さからは漂う。30分の検索の末、拾った鳥はスズメであり、イネや虫、パンくずなどあらゆるものを食べることが分かった。台所から8枚切りの食パンを一枚取り出し、ちぎり、鳥の前においてみた。しかし鳥は食パンに目もくれず相変わらず弱まった光の目で空中を見つめていた。いったい何をみつめているのか私は分かろうとした。瀕死の鳥が食べ物より大事な何かが宙にあるのだろうか、もう大事なものなどないのだろうか。

動かない鳥をずっと見つめていることにも飽きたのでリビングの机で宿題を始めた。その間、母は剣道の習い事に出かけていた弟を迎えに行き、帰ってきてからは夕食を作っていた。台所から聞こえるまな板と包丁がリズムよくぶつかる音、フライパンの上で食材に火が入っていく音、水道から水が流れる音、そして時おりなる電子音を聞きながら宿題をする。親元を離れ、その音を出す人が自分しかいなくなった今の私にとってその音はさみしさと懐かしさが入り混じって表れてくる音になった。宿題は順調に終わり、絵を描く。キャラクターの絵や創作の絵、どれも子供の描いた絵でしかなくお絵かき程度のものだが、絵を描く時間は好きな時間だった。本を読む、テレビを見る、ピアノを弾く、子ども持つ娯楽の中で最も自由な作業だからだ。その日の私は珍しく写生をした。まずは目の前にあるティッシュケースを書きいていたがその人工的なフォルムに飽きてしまい、すぐに鳥を描いた。目の前の弱った鳥はどれだけ羽毛の色を詳細に観察しても、目の形を見ても、ティッシュケースやパソコンと同じく私とは親密になれない容姿をしていた。

 鳥が元気になるまで家においておくことを両親が許してくれたのでその日から私は鳥のお世話に力を入れた。朝起きると鳥が逃げないようにかぶせておいた空き箱を開ける。ペットボトルのキャップに新しい水を入れ小さなお皿に食パンのかけらをちぎって乗せる。鳥の様子を観察してから、今度は透明のプラスチックで作った箱をかぶせる。

 鳥が家に来てから2日目の夜に初めて水を飲んでいるところを見た。直前まで置物のように動かなかったことが不思議なくらい、急に水入れにくちばしをさしぴちゃぴちゃと音を立てていた。私は病み上がりのおかゆを想像する。熱にうなされ何も口に入れたくないと思っていたはずが目を覚ますと気分が良い。働かない五感を懸命に使い食べるおかゆは安心と切なさと不安の渦に飲み込まれる。目の前にいる鳥も渦の中心でもがいているだろうか。

 それからはほとんど毎日水を飲む姿を見ることができた。たまに食パンをついばむところも見ていた。目に宿った悲しい色は日に日に活力のあるものへと変わっていく。5日目には羽をばたつかせる様子も見ることができた。私は自然に返すための準備を始めた。鳥の近くの窓を開け、風を入れると鳥は窓の方向を見つめる、何か思うのか、羽を広げては閉じる。

 7日目の夜、奇妙な夢を見た。家の庭で花を摘んで遊んでいたら、私の上空を渡り鳥たちが低空飛行しながら飛んでいく。その勢いに思わず目を閉じたが目の前から風を感じ目を開けると私は空にいた。渡り鳥たちとともに遠い空を飛んでいた。地上から見る渡り鳥は一つの目標地点を目指し懸命に羽ばたく勇士だと思っていたが渡り鳥とともに飛ぶと目標などなく不安に体を押され空に浮かんでいるのだと気づく。夢は唐突に終わり目を覚ます。

 普段の起床時間には少し早かったが体を起こし鳥の様子を見に行く。夢のせいか少し暗い影が心に居座っておりそれが現実にまで影響を及ぼすことを恐れる。夢は何かを暗示していたのか、鳥にかぶせていたかごは倒れ上に載せてあった重しの本は床に落ちていた。慌てて周りを見たが鳥の様子はない。窓はあいていないはずであり家の中のどこかにいる。速く探さなくてはと思い助っ人の母を呼ぼうと両親の部屋のドアノブに手をかけたとき、ばさばさと何かが落ちる音がした。振り返ると鳥がもとの所に戻ってきていた。速くなった心臓の鼓動をなだめながら、そっち近づきかごをかぶせる。何事もなかったような顔をしてこっちを見つめる鳥は自然の鳥の姿だった。今日の夕方には拾った場所へ返しに行こうと決心し餌と水の交換をする。ひと時、自分の手を離れたことにより生まれた鳥への愛着は寂しさをもたらした。
 
 その日は一日中、鳥を眺めて過ごした。絵を描き、写真を撮り、日記を書き、少しでもこの鳥が私の家にいた日の記録を残そうとした。夕方4時、鳥をタオルで包み橋の反対の歩道に行く。地面にしゃがみタオルを広げ鳥が飛んでゆくのを待つ。その時、背後から怒鳴り声が聞こえる。「おい、なにやってんだ」慌てて振り返ると腹の出た70代くらいの男が私に向かって怒鳴っている。なぜ怒鳴られたのかわからず頭が真っ白になっているとその怒号に驚いたのか鳥は頭上へ飛んでいった。男と目を合わせたまま固まっている私に男は続けて邪魔だとか、自分勝手だとか、そんな言葉を並べる。自分勝手の意味は分かったが私のどこが自分勝手なのかはわからなかった。怖くなり急いで立ちあがり走って逃げかえる。母が「鳥ちゃんは無事に帰れたかしら?」と尋ねてきたが無事かどうかはわからない。急に浴びせられた怒号への恐怖と間違えたことをしたらしい自分への羞恥から母にそのことを話す勇気はなく「うん。」と答える。鳥は飛ぶことができたし餌も食べ水も飲むことができたのだから無事に違いないと自分に言い聞かせ夜は眠った。

 次の日から私は鳥を拾う前の日常に戻るはず立った。工事が終わった橋を通り、カモやサギを眺め歩いて帰るはずだった。学校からの帰り道、橋を目の前にすると息が速くなるのを感じる。怖くなりもと来た道を学校の方へ引き返し回り道をして帰った。帰宅の遅い私を心配してか母は庭に出ていた。私の姿が見えると微笑んで「おかえり」といいその言葉と顔に私も安心し「ただいま。」と言う。玄関に入り靴を脱ぎ、カバンを下ろして手を洗いに脱衣所へ行く。手を洗いうがいをしふと見た鏡に映る自分の目はあの日拾った鳥の目のような失望感が感じられた。怖くなり慌てて「私の顔変じゃない?」と母に聞く。「いつも通りよ。」という答えに安心しおやつのシュークリームを食べる。私がシュークリームを食べる様子を見ていた母は微笑んで「おいしい?」と聞く。母の目はいつも通り、温度のあるオレンジ色の目をしていた。




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