小説「京都の小さな和菓子屋・ 菓子司 春翔屋 風座右衛門(かしのつかさ はるとや かぜざえもん)」
小説「京都の小さな和菓子屋・ 菓子司 春翔屋 風座右衛門(かしのつかさ はるとや かぜざえもん)」
「『春と風』…ええ出来や。春の風を見事に表現出来ているやないか。これで安心して十三代目を任せられる」
十二代目風左衛門は筆を持ち「春と風」と墨痕鮮やかにしたためると、そう言って筆を下ろした。
「ありがとうございます…」
喜三郎の目には涙が滲んでいる。
和菓子屋春翔屋は室町時代から400年続く老舗の和菓子屋。
「春と風」というお題の菓子を作りあげる事が師匠から出された喜三郎への課題だった。
「春と風」という季節の菓子作りは代々店主だけが担う重責である。
喜三郎は幼少の頃、丁稚としてこの和菓子屋に入り奉公した。
十二代目春翔屋風座右衛門にその才能を認められ菓子作りの手解きを受けてきた。
やがて春翔屋の一人娘の桃子と恋仲となり祝言を挙げ、この和菓子屋の婿養子となった。
ニ十五年たった昨年末のこと。桃子と喜三郎を部屋に呼ぶと風左衛門はこう言った。
「わしももう歳や、そろそろ代替わりを考えている…それでや喜三郎、来年の三月三日のひな祭りの『春と風』の菓子を作るのはお前に任せようと思う」
喜三郎の生家は滋賀の琵琶湖近くにあった。
もともとは武家だったが、文明開花の世の中になってからは農家として生計を立てていた。昭和生まれの喜三郎は、もちろん武家の時代は知らない。
農家の六人兄弟の三男として生まれた彼は中学卒業と同時にこの菓子屋に住み込みで働くことになった。昔でいうところの「丁稚奉公」である。
喜三郎はこのお題「春と風」を任された時に幼い頃の田舎の光景を思い浮かべた…。
桃の花が咲く頃…
広い菜の花畑、
前の年に刈り取ったままの田んぼに稲が芽を出す「春の田」の青々とした光景、
蓮華草、
土手の土筆、
舞うように遊ぶ白や黄色の蝶…
彼はそれを和菓子で表現しようと試みた。
桃の花を形どった練り切り、
菜の花のきんとん、
芽を出す土筆は雪平、
干菓子の蝶が遊ぶように飾りつけた。
床の間の雛人形の前に作られた舞台は、二畳くらいの広さ。
しかし飾られた和菓子は生き生きとしていた。
その舞台は、それ以上の広がりを持つかのようにも見えた。
まるで日本画の絵巻物のようでもあり、モネが和菓子を作ればこの様な物を作るのではないかと思わせるような絵画のようにも見えた。
淡い桃色、様々な色合いの黄色に黄緑。
黒糖羊羹の上に透ける寒天に浮かべた桃の花。
淡い黄緑のお茶羊羹の上にあしらわれた菜の花…
間を飛ぶ蝶の落雁もあった。
そこに置かれた師匠から伝承した幾種類もの菓子。
「昔を思い出して作ったんか…ええ菓子や。大津の風が京まで吹いて来たみたいやな」
その菓子を見て親方である十二代目風座右衛門は目を細めた。
「先代がビルまで建てて手広く広げてしまったらバブルが弾けて、今度はリーマンやった。何もかも失ってしまった上に先代が倒れてしまった…
あの時、急遽私が継いだ時には、もう倒産寸前やった。大勢いた従業員も、お前の兄弟子たちも、未払いの給与を『退職金や』言うて持って皆去っていった。
そんな中をお前だけが残ってこの菓子屋の暖簾を守ってくれた…喜三郎と桃子は、よう頑張ってくれた。なあ、千代」
「本当に喜三郎さんのおかげです…もう、あかん思った時もありましたわ…けど、あの時喜三郎さんが『ピンチがチャンス言うやありませんか』言うてくれて…あの言葉でハッとしたんです」
桃子の母、風左衛門の妻が茶を運びながら言った。
春翔屋は今はこの小さな自宅兼店舗の一カ所だけで家族だけで細々と伝統を伝えていた。
「あちこちのデパートの店頭から撤退した時にも、お前たちが足を棒にして小さな地方の小売店に一軒一軒足を運んでくれた。よう頑張ってくれたなあ、桃子」
「ええ、お父さん。たいへんでしたけど、喜三郎さんが居てくれたから持ち堪えられました。今となっては楽しい想い出です…それにしても、もうそろそろ桜子が帰って来る頃やけど、遅いなぁ」
桃子がそう言うと、ちょうどその時、向こうの引き戸が開いて駆け込む音がした。
「ただいま帰りました…まあ!これがお父さんが初めて作った『春と風』の菓子なの?綺麗やわぁ」
「春と風」は、代々の当主が桃の節句に作る節句菓子なのである。
桜子は喜三郎と桃子の一人娘。
和菓子文化の海外への普及の夢を持ってパリの大学に留学していた。
実は今回の帰国には二つの大切な理由があった。
一つはフランス人のポールさんという婚約者を連れて来るということ。
「よう帰ってきた…ポールさんも、よう来たな」
そしてもう一つの理由。それは…
桜子に出会い和菓子に魅せられたパティシエのポールさんが「春翔屋風左衛門」に弟子入り修行するための来日でもある。
パリジャンの風左衛門が誕生するかは今後の修行しだいだが…
「まあ鶯?もう山からおりて来たのでしょうか…今年は早かったですね」
桃子と桜子は庭に出た。
「あらスミレも咲きだしている…ポールさん、この黄色の花がたんぽぽよ。可愛いでしょう?どれもこれも私の大好きな野の花なの」
「オオ!ウツクシイデスネ!」
庭には桃の花が美しく咲いている。
奥に桜。まだ桜花の時期には早い。
その時、柔らかな暖かい一陣の風が吹いた。
桃の木の下に広がる菜の花の黄色い花びらが風に巻き上げられてチラチラと舞い上がった。
春翔屋が細々と繋いだ伝統に、パリの風が優しく吹いて来るのが待ち遠しい。
柔らかな日差しが春の幕開けを告げる頃の…
京都郊外にある小さな菓子屋の昼下がりの物語である。
おしまい
[あとがき]
この話はフィクションであり、
小説中の人物、和菓子屋はすべて架空のものです。
また京都の和菓子屋の設定のため、
京言葉のシーンがありますが不自然な点はネイティブでないため、ご了承頂ければ幸いです。
小牧幸助さん
いつもありがとうございます😊
シロクマ文芸部の企画に参加させて頂きます♪
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