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人間関係トラブルの要因について考えてみる。



人生がうまくいかない人
トラブルに巻き込まれる人
嫌がらせを受ける人

相手のせいか?
自分のせいか?

度々問題になるこの話題。

個人の意見としては
「相手のせいかつ自分のせい説」派である。

自分の経験を交えて書いてみる。

※ここから先に書くことは個人の経験則を元に考えた、しがない大学生のぼやきになる。多分間違いも反論もあるだろうが悪しからず。



世の中には悲しいかな、悪意しかない人が存在する。

もうそんなのはどうしようもない。
悪意に対しては鬼になるしかない。


しかし、大抵の場合はそうとは限らない。
殆どの人間は性善説が適応されるというのが私の持論。

人は関わる相手によって、程度の差はあれど、多少性質が変わってしまうものだ。

良い人に見える人に悪い面があるのも、酷いことをする人に優しい面があることも当たり前。

「相手(環境)と自分がマッチングする要素」がある為に、巡り合い、問題は起こる。


例えば

「今まで甘えることが許されない環境でいた人」が、「すぐに周囲に甘える人」につっかかるとか、

「周囲から相手にされなかったことから悔しさを感じていた人」が、「やたら目立つ人」を羨むとか、

「周りに気を遣うことを美徳とする人」が「気を遣えない人」を許せないとか

挙げたらキリがないね。

でもこれだけでは問題は起こらない。


上記のようなマッチングが成立した上で、

無自覚に双方が双方を求めた時に

問題やトラブルは発生する。


私の事例だと

「私は他人の憂さ晴らしの為に虐げられる運命であり、これを放棄することは許されない」

と、何年も思い込んでいたが、

コレ、
「虐げられる = 生きる意味」になっている。

当時は気づかなかったが、
色々と大変なことになった。

「自分は怒鳴られるor殴られる人間」と、心のどこかで思っている場合も同様かと。


まぁここまで極端でなくても

親に似た人を無意識に求める
→親に近い人が寄ってくる。

諸事情により、精神的な発達が止まる。
→同じように精神的な発達が同じ段階で止まった人がやってくる。

承認欲求を拗らせている。
→共依存関係を求める人がやってくる。

自分の価値を低く見積もっている
→自分の価値が高いと確認したい人がやってくる。

被害者意識が強い。
→加害者がやってくる。(被害者自らが作り出しているパターンもある)

コレも例を挙げるとキリがない。


メンヘラやらなんやらって度々話題になるのを見かけるが、

メンヘラなんてそこかしこに居るし、
人間の性質の一部に特徴がある程度のものだ。

人は環境によって割と誰でもメンヘラになり得る。

メンヘラへのなりやすさに個人差があるだけだ。

もしメンヘラと出くわしているのなら、

メンヘラの人のメンヘラ的側面を助長する要因をその人自身が持っている可能性が高い。

現に、メンヘラが都市伝説、或いは面白い話のネタ程度にしか思っていない人に会ったことがある。


同じようなことを書いていた人がいたのでリンクを貼ってみる。


人間関係トラブルで、よくあるパターンを考えてみた。


加害者側
→自分に構ってほしい。或いは、自分の主張を聞いてほしい。

被害者側
→とりあえず、耐える。

加害者側
→なぜか暖簾に腕押ししているような感覚に陥り、エスカレートする。

被害者側
→壊れていく。


このパターン、よくあると書いたが、2パターンある。ほぼ同じだけど。


加害者側、被害者側の文面通り。


加害者側→訴えを起こす側
被害者側→訴えを飲み込む側
という派生版。

※暴力、いじめ等はいかなる理由があろうと、それらをやった側が悪いというのは大前提。


①はわかりやすいだろう。
この場合は被害者側が加害者側に対して、本心で関わるしかない。或いは全力で逃げるか。

加害者側が失敗を繰り返し改心するか、被害者側が主体性を取り戻すか、いずれかによってストップする。

しかし、人は変化を恐れる。
相手がいつか変わることを期待したところで無意味である。

口だけは嫌だとか辛いとか言いながらも、行動しないのは変化する気がないってことさ。

現に変わろうと決意して行動を起こしたら起こしたで大変ではある。その過程を楽しめたらまだいいのだが。

主体性の取り戻し方は、私自身も模索中。

何せ自分が怒ったという事実をしばらく受け入れられず、気を逸らす為に遍路計画を立てるという奇行に走る人間だ。うん。

ただ、模索した過程をゆくゆくは書いていくつもりでいる。

参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。

ある人は「主体性の獲得は10年20年掛かっていくものだ」と言っていた。

せめて、
一矢報いるか、逃げれればいいのだが。

それが出来ないから苦しむ。

とりあえず言えることは、
やられっぱなしが招く災難も多々ある。


嫌がらせを受けてる? 大抵の場合は逃げたり距離を取ったがいい。逃げれない? まぁそんなこともあるさ、そんな時はコミュニティの外の人に相談するといい。

周囲に迷惑をかけたくない? 「周囲に迷惑をかけたくない」って思いは逆に「周囲の迷惑になる」ことがある。

でも、それを渦中の人が自覚するのはほぼ不可能。もどかしいね。


逃げても同じ状況を繰り返すって? それは何か自分自身がやらかしてないか? 「嘘をついている」「人の悪口を言う」「僻みっぽい事を口にしている」「雑談時に自分の苦労話を武勇伝のように語っている」などのことをしていると、状況が悪化する。

この中でも特に虚言癖は割と厄介である。
中には無意識だったり、記憶から抹消されてしまう場合がある。

自分の失敗や過失を忘れてしまい自分が嘘をついていると自覚できなくなる人が居る。

例えば、「遊ぶことは良くないことで、とにかく勉強しなければならない」と、親や学校、塾等でとんでもなく強いプレッシャーをかけられている人が居たとする。

その状態で「遊ぶ」という「良くないと思い込んでいること」をした場合、「遊んだ」ということが認められなくなる。或いは記憶が無くなることがある。

この状態で他人とコミュニケーションを取ると話に齟齬が発生してくる。

すると、たとえ嘘になってしまった内容が大した内容でなくても、積み重なればどんどん酷くなってくるし、人間関係構築に多大なる影響を及ぼす。


身近にあった事例として、
どう考えても逃げた方がいい環境にいる人が居る。

「抗うつ剤飲んで休んだらあいつらに負けた気がするので嫌だ」と言っていた。

「負けるも何もない。

そんな意地張ってたら、

マジで死ぬか、後に激しく後悔する事になる。」

そんなことを言っても届かないのである。


①系の相談を受けている人がもし居たら、相談を受けすぎないように注意しよう。

体力を持ってかれるよ。

ここでは詳しく書かなかったけど、付き合った相手の束縛が強い云々もこれに当てはまると思われる。特に注意。
(とは言いつつも当人同士が楽しいなら、或いはうまくいっているなら、それはそれでいいとは思うが。)

とある人は
この手の話題を言ってくる人が居たら、

「占い師やってるので、話を聞いて欲しいなら金をとるよ」と言って

人払いをしているらしい。



②のパターンについて、
これの厄介なところは

被害者側が相手の話を聞いて同情することに徹すると状況が悪化する点。

  • 同情すること

  • 訴えている側に対して不都合なことを言わないこと

  • 都合の良いことをとりあえず言うこと


これらを優しさだと勘違いしている人が被害者側に陥りやすい。

これはつまり、
自分がいい顔をしたいだけだ。

自分が我慢したら丸く収まるというのは誤解だ。

それによって起こるのは
相手の失望か、訴えのエスカレートだ。


同情だけして理解を示さないくらいなら、無理だと言って頂ける方が、

ある意味まだ優しいかもしれない。


「無理だと言う = 自分が無能だと言う」
だと思いこんで、

なけなしの自分のプライドを守るため、耐え続ける人が居る。

そうなると、さらに厄介である。


具体例としていい事例があるのでリンクを貼ってみる。

一切の対処もしてもらえずに終わると、心に痛みが残る。理解を得られず一層傷つくくらいなら言わなきゃ良かったと。

(中略)

しかし、それならそれで構わない。ただ私は上司からせめて対話や問題提起の機会をもらえたら幾分、救われたかと思う。



②の解決法は
訴えを受け止め、話し合いをすること。

その結果、その要望に応えられないという結論に至っても、双方に禍根を残さずに済む。

さらに、互いに見えなかった視点も得られることがある。


ここで書いている「話し合い」って、ただの話し合いではなくて、所謂「対話」かもしれない。

対話は対話でも

「考えをはっきりと述べつつも、自分の主張や立場に固執することなく、互いの言わんとする意味を深く探求する会話」って定義の方のやつ。


別に「対話」が上手くできなくても、対話する意思を持てば、割となんとかなる。

とはいえど、難しい部分もあるので、これが自然にうまくできる人を見かける度に「この人凄すぎる」と内心思う。

訴えられる側を経験したことある身としては尚更。(訴えた経験もあるが)


少し異なるが似た事例も載せてみる。



また別の似た現象として、「子→親へのDV」があると考えている。

こう考えた理由は
私が②の状況を過去に実体験した時、
というか、訴えを起こす側に陥った時、

「コレ、怒りの矛先は目の前にいる相手だけではなくて、かつて出会った先生や親に向けられたものかもしれない。もし、コレを先生や親に発散してたら暴力的なことをしていてもおかしくなかったかもしれない」

と、気づいてしまったことがあるからである。

(※当時トラブルを起こした時は怒りを文章で伝えていたので、比較的穏便?? だったかもしれない。巻き込んでしまった人には申し訳ない限りだが。)

憶測にはなってしまうが、このような問題があった時、

「辞めるよう言うだけ」「謝るだけ」「要求を呑むだけ」であれば悪化していきそうな気がする。

「何か理解して欲しいことがあるけど、普通に話しても通じない或いは話せない状況なので過激な行動に出る」という構造が恐らくあり、

問題が起こるタイミングや状況から、「本当は何を伝えたいのか」を探る必要があると思われる。

過激な行動に出るifがあった場合、どのようなことを自分が伝えたかっただろうかと考えてみた。

中学時代の私は恐らくこんな状態だったと予想される。

「何故これだけ普通になろうと頑張ってきたのに、精神を強制的に追い込んで勉強し続けたのに、ひたすら耐えてきたのに、なぜ認めてくれないの? なぜ助けてくれないの? なぜ友達もできないの?」

こんな状態の人とは関わりたくないだろうなと、今なら思う。

長くなったので、そろそろまとめる。

つまるところ、
人間関係トラブルって滅茶苦茶厄介だし、
原因も複雑だし、
解決も大変。


最後に人間関係トラブル回避のコツ。

人間関係トラブルを回避したかったら「中高時代の反抗期が無さそうな人」を避ければ、かなり有効だと思う。

反抗期が無かったクチの人間より。


人生は不思議なもので、
自分がやったことを他人からやられたり、
自分がやられたことを他人がやったりしてくる。

そーいう類のものは、なぜか回避不能なことが多いので……腹を括るしかないかもしれない。

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