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一つ荷物を下ろす

2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した日。
私は重荷を一つ下ろすことができた。
これから世界が混沌としていくだろうけど
その渦に巻き込まれるかどうかなんて
きっと降りかかってからじゃないと気付かない。
自分は自分の周りに起きている
小さな出来事一つ一つを
乗り越えていくだけ。

それにしても、人間は都合よくできている。
少なくとも私は、といったほうが正しいけど。

あんなに心に闇が染み出して
今にも壊れそうだったのに
バイトに行かなくてもよくなった途端
心が軽くなって、また何でもできそうな気分になってる。

というか、よっぽど嫌だったんだろうな。

他人事のように言ってるけど
実際はあまり自覚はなかった。
やらなきゃいけない、と思い込んでた。
辞めてもいい、とも思っていなかった。
時給もよかったし、家から近かったし
手順を覚えて慣れさえすれば誰でもできる仕事だと思ったし。

でも、違和感はずっとあったよね。
ここは自分の居場所じゃない、という違和感。

その違和感の在処がどこなのか、考えていたら
正しく表せてるかどうかはわからないけど
そこにはジェネレーションギャップが存在していた。

ジェネレーションギャップ、って
ずっとプライベートでだけ使っていた気がする。
音楽や流行語、映画やTV番組。
そういった話題で出てきてたけど
仕事でそれを感じたのは、今回が初めてだった。

だって、周りがほぼ全員自分の子供くらいの年齢だもの。
そんな子たちと同等には
作業ができなくなってるのは当然よね。
記憶力が追い付かない、
指が動かなくなってミスタッチが増えてる、
相手の声が聞き取りにくい、
何よりも、疲労感が半端なくって回復も遅い。

よかった。気付けて。

ずっとずっと、しんどいからって途中で投げ出すのはよくない!
って思ってた。
てか、そういう時代を生きてきた。

でももう、できないことはできない、でいいよね。

そう気づいた日が
風は冷たかったけど日差しが暖かい日でよかった。
雲の切れ間から見える青空がとっても綺麗に澄んでた。

もう人生も半分以上過ぎたから
自分の心や身体と相談しながら
無理のない時間を過ごそう。


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