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苦しみは天罰ではなく招待状です

[サムエル記 第一 1:4,5,6]

そのようなある日、エルカナはいけにえを献げた。彼は、妻のペニンナ、そして彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えるようにしていたが、ハンナには特別の受ける分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。また、彼女に敵対するペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられたことで、彼女をひどく苛立たせ、その怒りをかき立てた。

今日の聖書箇所
Iサム1:1〜8

今日から第一サムエル記を通して恵みをいただいていきましょう。

サムエル記は預言者サムエルの両親であるエルカナとハンナの物語から始まります。サムエルの母、ハンナは不妊でした。古代においては不妊は天罰や呪いであると解釈されていました。

ハンナの不妊は長い期間で、それゆえ夫のエルカナはもう一人の妻、ペニンナをめとったのです。それはハンナにとってさらに大きな苦しみとなりました。ペニンナには子どもが与えられましたが、エルカナはハンナを愛していたので、ペニンナはハンナを妬み、子どもが産めないことでハンナに陰湿な嫌がらせを繰り返したのです。

ハンナは不妊だけでも苦しいのに、それゆえに一夫多妻という複雑な家庭になり、そしてもう一人の妻から陰湿な攻撃を受け続けるのです。夫エルカナは優しい人でしたが、そんな優しさもかえって苦しみを増すばかりだったことでしょう。

ハンナはその苦しみをもうどこにも持っていくことができませんでした。慰めの場所である家庭も殺伐とした戦場のようでした。しかし聖書はこれらが全て主のご計画とその御手の中にあったことを明らかにするのです。

「主がハンナの胎を閉じておられた」・・・と2回も繰り返されているのです。その苦しみには神の隠れたご計画があることを示しています。ハンナはまさかこのような自分の苦しみがイスラエル民族全体に救いをもたらす神のご計画の一部になるなどとは想像することさえできなかったでしょう。

愛する兄弟姉妹、愛する聖徒の皆さま、私たちは自分の問題や苦しみ、試練について自分なりに解釈するのですが、その解釈は正しくないことがほとんどなのです。

ハンナは恐らく自分の不妊は神の呪いであり、罰であると思ったのではないかと思います。しかし実際はそうではありませんでした。ハンナの不妊は神の救いと祝福の始まりとなり、暗黒時代と言われる士師時代に希望の光をもたらす天の扉となったのです。

人の知恵、力ではどうすることもできない問題、耐えられない苦しみこそ実は恵みの御神からの招待状なのです。その苦しみを抱えて恵みの主の御前に出る者は幸いです。それについて神の解釈を尋ね、神による解決を求める者は幸いなのです。そのような者こそ心の貧しい者であり、そのような者に天の御国は開かれていくからです。

今、どうすることもできない行き詰まりの中にあるでしょうか?四方八方どこにも道はないでしょうか?しかし天の扉は開いているのです。天を仰ぎ、主の血潮に縋って恵みの御座の前に進む者となっていきたいものです。

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