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愛はどこまでも成長し完成することを求めます
[ピリピ人への手紙 1:6]
あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
今日の聖書箇所
ピリピ1:1〜11
今日からピリピ書に入ります。
ピリピ書は喜びの手紙と呼ばれます。パウロは獄中からこの手紙を書いたのですがピリピの聖徒たちへ喜ぶことを勧めます。そしてパウロに愛を持って仕えるピリピの聖徒たちのことをパウロは喜び、誇るのです。ピリピの聖徒たちは獄中にいたパウロを深く慰め、励ます存在でした。
パウロがピリピの聖徒たちをそのように喜び、誇ることには理由がありました。それはただ自分を援助してくれるからということではありません。ピリピの聖徒たちに愛の現れがあり、愛の成長があったからです。
その愛は神を愛する愛であり、兄弟姉妹への愛であり、失われた魂への愛でした。ピリピの聖徒たちにそのような愛の現れがあるのを見て、パウロは神がピリピの聖徒たちの間に始められた救いの御業を完成させてくださると確信したのです。
イエス・キリストを信じて救われるとは愛といういのちが与えられることなのです。それが永遠のいのちが与えられるということであり、永遠のいのちとは神の愛そのものであり、神を愛するいのちなのです。その愛といういのちは限りなく成長して完成を目指していくものなのです。
救われていない者は自分を愛し、罪を愛し、この世を愛することしかできません。どんなに頑張っても神を愛する者とはなれません。しかし救われた者には聖霊という神の愛の種、愛といういのちが与えられます。救われた者にはその愛の現れと成長があるはずですし、なければなりません。
パウロはピリピの聖徒たちに与えられたその愛が限りなく成長するようにと祈っています。
[ピリピ人への手紙 1:9,10,11]
私はこう祈っています。あなたがたの愛が、知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなたがたが、大切なことを見分けることができますように。こうしてあなたがたが、キリストの日に備えて、純真で非難されるところのない者となり、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。
愛はどこまでも成長することを願うのです。パウロは盲目的な幼い愛ではなく、知恵と分別力が増し加わるようにと祈っているのです。神が本当に喜ぶことは何か、神が求めておられることは何かを分別でき、それに集中することによってますます聖なる者となり、多くの義の実を結ぶようにと祈っているのです。
救われた者はありのままでいいなどどは決して願いません。与えられた愛のいのちは成長すること願ってやまないからです。もっと神の心、神の願い、神の心臓の鼓動を感じたいと願い、もっと自分が神の喜びとなることを願うのです。それが信仰生活です。それゆえ信仰生活は絶えず成長していくはずですし、そうならなければおかしいのです。
救われた者、神を愛するいのちが与えられた者は自分の願いを祈ることから神の願いを祈る者へと成長していきます。そして神の最大の願いは魂の救いなので、魂の救いを祈らないではいられなくなり、その働きのために何か行動するようになっていくのです。ピリピの聖徒たちは救われた直後からパウロの宣教の働きを物心両面で援助したのです。
[ピリピ人への手紙 1:5]
あなたがたが最初の日から今日まで、福音を伝えることにともに携わってきたことを感謝しています。
救われて神を愛するいのち、聖霊といういのちが与えられた者はいつまでも自分のための神でとどまることなどできません。ご利益信仰で終わることなどあり得ません。神のための自分になることを欲し、従順と献身へと進むことを欲するのです。
それはそうしなければならないからではなく、そうしないではいられない愛の衝動が内側から湧き上がるからです。そしてその愛の衝動に従うことが喜びとなっていくのです。愛することができることが喜びなのです。
イエスを信じている、救われたと言うならそのような愛のいのちの現れがあり、愛のいのちの成長があるでしょうか?
どこまでも私のための神、義務的にする宗教生活、ご利益宗教と変わらない自己中心的な祈りで終わっていないでしょうか?
そうであるならば本当に救われているのかを確認しなければなりません。それは最初から本当の意味では救われていなかったか、あるいは初めの愛から離れてしまったということです。
もしそうなら聖霊が諸教会に語っている御声を聞くべきです。
[ヨハネの黙示録 2:4,5]
けれども、あなたには責めるべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。
[エレミヤ書 2:2]
「さあ、行ってエルサレムの人々に宣言せよ。『主はこう言われる。わたしは、あなたの若いころの真実の愛、婚約時代の愛、種も蒔かれていなかった地、荒野でのわたしへの従順を覚えている。」
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