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「フロー体験 喜びの現象学」第6章の要約


思考のフロー

最も素晴らしい経験のいくつかは感覚的な能力よりも、むしろ思考能力に挑戦をしかける情報を手掛かりとして、心の内に生じる。

我々が行っている多くの知的な探究の中でも、読書はおそらく現在世界中で最も多く取り上げられるフロー活動だろう。

競技者は、ある限界を超えて競技者を進歩させるには、心の鍛え方を知らねばならない。

優れたチェスのプレーヤーは、身体的に不調だとチェスのトーナメントに必要な長期の精神的集中を維持することができなくなるので、ランニングや水泳で身体を鍛える。

訓練なしには、そして注意を集中させる目標を外の世界にもつことなしには、思考を数分とは集中することはできない。
ほとんどの者は数ページ後には集中力を失い始め、心は書かれている内容からさ迷い出てしまう。

意識のカオスを避けるより良い方法は、テレビ番組のような外的刺激源を統制するよりも個人の精神的過程を統制することである。

白昼夢は多くの子供たちがその利用法を教えられていない一つの能力である。

読書も訓練が必要。
本当に数ページで意識がさ迷い始める。
そして、今の時代はスマホやタブレットなどの外的刺激で、集中力が絶えず途切れている状態だといえる。
白昼夢は子供たちだけの特権だろうか?
小説家は白昼夢を鍛えている人といえるのではないだろうか。

科学の母

「記憶のない人生はまったくの無である。・・・記憶は我々の統一・理性・感情であり行為ですらある。それなしには我々は無である」
すべての形式の精神的フローは直接または間接に記憶に依存している

自分の起源を知ること、および自分がだれに関係づけられているかを知ることは他の秩序基盤がない場合、社会的秩序を作るうえで不可欠の方法である。
優れた記憶力なしには謎かけの名人にはなれないし、それ以外のどのような知的能力に熟達することもできない。
記憶すべきものがない人の人生はきわめて貧しくなる可能性がある。
情報の複雑なパタンを暗記することは決して無駄な努力ではない。

人はどうすれば記憶をより価値あるものにすることができるのだろうか。

最初の最も自然な方法は、どのような対象に実際の関心をもつか決め、選んだ領域の鍵となる事実や数字に注意を払うことから始めることである。

自分が何を記憶したいかを決定すれば、情報は自分の支配下におかれ、記憶のすべての過程は外から課せられる困難な仕事ではなくなり、楽しい作業となる。

学生時代の覚えなければならない暗記は、苦痛。
大人になってから学びたいことを覚える暗記は、楽しいものになる。
暗記する行為をどうやって楽しいことにするか。
ビジョンやミッションを決定することから始めること。
どういう人生にしたいのか。
どんな人になりたいのか。
自分の命を何に使うのか。

精神的ゲームのルール

記憶は心の中に起こっていることに形を与えられる道具として必要であるだけではない。さまざまな事実の記憶は、それらがいくつかのパタンにまとめられなければ、またパタンの類似性や規則性を見出さなければ意味がない。最も単純な秩序化のシステムは事物に名前をつけることである。

観念の遊びは気分を極度に高揚させるということである。

内面化された象徴体系を統制することが人の命を救うことがある。アイスランドでは人口当たりの詩人の数が世界のどの国より多い理由は、アイスランド人にとって伝説物語の暗誦が、人間の生存にとってきわめて過酷な環境の中で意識の秩序を保つ手段となったためといわれている。
内面化された象徴体系をもたない人は、いとも容易にメディアの虜になってしまう。

詩人になるためには、優れた詩を暗誦することから始めたらいいかもしれない。
暗誦は記憶力を鍛えるだけではなく、創作にも役立っている。
実は義務教育で教わること、体験することは大きな意味があることがわかる。

言葉の遊び

クロスワードパズルは、ただぶらぶらしている多くの人々に軽いフロー状態を体験する機会を与える。
真に自律的になるより優れた方法は、パズルを解く代わりに、自分自身のクロスワードを作ることである。

語彙についての子供の潜在能力を養う方法の一つは、ごく初期のうちに言葉遊びをさせるということである。

言語を創造的に用いるものの代表は詩歌である。
毎晩詩集を読むことは、心の調子を整えさせる働きをする
重要なことは、少なくとも心が歌い始める一行または一節を見つけ出すことである。
この能力の獲得が人生の質を大きく変える。

散文を書くことも同様の恩恵をもたらす。

書くことの効用は、手早く伝達することにあるのではなく、情報を創るところにある。

心をではなく体験を統制するために行われるとき、書くことは無限の複雑さと豊かな報酬を得る手段となる。

書くことは、感情の混乱の中に、ある秩序を創りあげる治療の役割を果たしている。

最後の
書くことは、感情の混乱の中に、ある秩序を創りあげる治療の役割を果たしている」

書くことは、自分の感情をコントロールすることや、自分と向き合うために必要なんだな、と改めて思った。
だから、日記をつけることや、メモを書くことがあらゆる自己啓発書で奨められている。

子供の頃の言葉遊びは大事なんだなと、自分の子供たちを見ていて感じる

クレイオへの思慕

観察や記録、それに生活の中での大小のできごとの記憶の保存は、意識に秩序をもたらす最も古くからの、また最も確かな方法の一つである。

過去を思い出すことは個人のアイデンティティの創造や保存の手段にとどまらず、非常に楽しい過程でもある。
過去を記録することは、生活の質を高めるのに大きく貢献できる。

フロー活動として、歴史を記録するにはいくつかのレベルがある。
最も個人的なレベルは、単に日記をつけるということである。
次のレベルは可能な限り過去に遡り、家族の歴史を書くということである。

自分が意味を感じる源に焦点をおき、発見したことを自分のやり方で記録することを始めた途端、歴史研究は成熟したフロー体験となることができる。

些細なことでもメモを取る習慣
自分はまだ圧倒的に足りないなと思う。
自分の歴史を振り返ったり、ノートに書いたりしてみる。
これも多くのビジネス書で奨められている。

科学の喜び

思考の過程の型が打破されるのは、このような思いもよらない状況下で、人々がアイデアとの遊びに没頭している時である。

彼らはただ楽しいことをしたにすぎない

これらの人々の多くが能力をさらに高められない原因は、自分は決して純粋な「プロの」科学者になれない、したがって自分の趣味は真面目に考えられるべきものではないという考え方である。
しかし科学に携わる理由のうち、探究者の心に科学が持ち込む秩序感覚以上い良いものはない。

価値を判断する基準が成功や社会的承認よりも、フローにおかれるならば、科学は人生の質に無限の貢献をすることができる。

智への愛

もし人が、そうすべきであるという理由から、ある本を読んだり、ある道筋をたどることを強制されたと感じたならば、学習は本心に逆らうということになる。
しかし、それが正しいという内的感覚から同じ道筋をたどることを決めるとすれば、学習は比較的骨の折れない楽しいものになる

自分が直面していると感じる主要な問題を明確に表現するという内的挑戦に従って考えを記録し、自分の経験を意味づけるのに役立つ解答を描き出そうとするならば、アマチュア哲学者は人生で最も困難で張り合いのある仕事の一つから楽しさを引き出すことを学ぶことになるだろう。

「やらなければならない」ことではなく
「やりたい」ことをしよう。

生涯学習への挑戦

理想的には、外発的に課せられる教育の終わりは、内発的に動機づけられる教育の出発点であるべきである。
その時、学習の目的は、もはや及第する、卒業証書を獲得する、良い職業を見つけることではなくなる。
それはむしろ、身の回りに生じることを理解すること、自分の経験のすべてについて個人的に意味のある感覚を発達させることである。

中一長男の英語に付き合っているうちに、自分もまた英語を学び直したいな、と思うようになった。
長男に文法を教えたくても、体系だって教えられない。
分かるようにしてあげたい。



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