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ギホー部へようこそ 2-2 3年経ってもうまくいかない、辛い不妊治療

前回までのあらすじ
大手医療機器メーカーの広報部で働いている村山里穂は、ある日突然『部署留学』という、新しく導入された制度の対象として選ばれ、研究所内にある『技術報告書管理部』通称“ギホー部”へ一時的に移動する。そんな時、食事会で知り合った、外資消材メーカーに勤める早川拓実とデートをすることに。

第2章 Vol.2

「あ、里穂ちゃん、お疲れ」
 
スーツフェチの里穂にとって休日のデートというのは、スーツ姿が見られず、少し残念に感じていた。
 
だが早川拓実に関しては、里穂好みの、奇抜すぎない綺麗めで洒落た服装をしており、とても好印象だ。
 
初デートの場所は中目黒のおしゃれな居酒屋。
 
いきなり高級フレンチやらイタリアンなどは気が引けるため、丁度良い店選びにも、彼のセンスを感じる。
 
今日は土曜日なので、夜は千駄木駅の自分のアパートに帰れる。前回のような失敗はないはずだ。
 
未来の夫候補との初デートということで、里穂はいつもよりも気合が入っていた。
 
二人で乾杯をした後、お互いの人柄を探り合うように、会話が始まる。
 
「拓実くんは、彼女はいないの?」
 
「いないよ。いたら今日、誘ってないよ」
 
早川拓実は、里穂の直球ストレートな質問にも、100点の返しをくれる。
 
“彼女がいない”という事実だけでなく、里穂を誘ったのは“彼女候補としてみているから”、さらには“彼女がいたらよそ見はしない”ということまでほのめかすなど、3ランホームランのような返答で、里穂の期待は膨らむばかり。
 
その他、お互いメーカー勤務ということで話が合ったり、同じYouTuberが好きだったりと、共通点も多かった。
 
一通り盛り上がり、そろそろ店を移ろうかというところで、拓実が言った。
 
「まだ時間大丈夫?この間は早く帰っちゃったから、もっとゆっくり話したかったんだ。次は少し静なところに行こうか」
 
「…うん、大丈夫」
 
思わせぶりな言葉に、里穂の心臓は一気に高鳴る。初デートとはいえ、いい年齢の大人が二人。多少展開が早くても、受け入れられる覚悟をしていた。
 
そして2軒目。歩いて5分ほどの隠れ家のようなバーに移動した。
 
カウンター席に隣同士で座り、ワインとつまみを頼む。甘い雰囲気が漂う中、拓実がゆっくりと口を開いた。
 
「こんなこと、里穂ちゃんにしか言えないんだけどさ…」
 
里穂は、拓実との間に進展があるのかと、ゴクリと唾を飲み込む。
 
「…里穂ちゃんって、医療機器メーカーにいるって言ってたよね?しかも広報だって」
 
「…え、あ、うん」
 
今そんな話をするのかと、里穂は拍子抜けする。
 
「実はさ、俺、5歳上の兄がいるんだけど、義理の姉が…不妊治療って言うんだっけ?それがうまく行かなくて、参っちゃってて。もしかして里穂ちゃんなら、医療機関の人を知ってるんじゃないかと思って。その辺りの有名なドクターとか、知らないかな?」
 
「へ…?不妊治療…?」
 
全くの予想外の言葉に、思わず声が上ずった。
 
「詳しくは分からないんだけど、あんなに明るくて元気だった美希ちゃんが、すげー落ち込んじゃって。最近はずっと、家に引きこもってる」
 
今日誘ったのはこのためだったのか…と里穂は落ち込んだ。でも、真剣に相談する拓実を放っておけなくて、思わず口が滑った。
 
「直接の知り合いはいないけど、会社の人に聞いてみたら、誰か詳しい人がいるかも」
 
「本当…?ありがとう、助かるよ。俺の周り医療関係の人いないし、その辺良くわかんなくて。もし良かったら、美希ちゃんに会ってみてよ。直接話を聞いた方が、もっとわかると思うし」
 
「…えぇ、是非…」
 
いい格好をしてしまった自分を恨みながら、里穂は後戻りできずに早川拓実のお願いを聞くことにした。
 

 
1週間後。
 
里穂は早川拓実と共に、23区内にある拓実の兄夫婦の元を訪れていた。
 
知り合ってまだ3回目、しかも友人でも恋人でもない人の親戚に会うなんてと、里穂は一人居心地の悪さを感じる。
 
「来てくれてありがとう。こちらが連絡をくれた、里穂さん?初めまして、早川美希です」
 
「初めまして、村山里穂です。お邪魔します」
 
出てきたのは30代半ばくらいの、とても綺麗な女性だった。すると拓実が慣れた様子で家に上がる。
 
「美希ちゃん、これ、お土産。今日兄さんは?」
 
「ありがとう。あの人、昨日から出張でいないのよ。ちょうど暇してたから、二人が来てくれて嬉しい」
 
美希は可愛らしく笑うと、中へと案内してくれた。
 
せっかくの土曜日に拓実といるのに、その名目はデートではなく、拓実の義理の姉の話を聞くためだなんて、と里穂のテンションは低め。
 
理由はそれだけではない。会社の人にそれとなく「不妊治療関係の医者を知っているか」と聞いても、「うちはその辺りの製品はほとんど扱っていないから」と言われてしまったのだ。
 
− せっかく期待してくれているのに、なんて返したら良いんだろう…。
 
里穂は力になれないかも知れないと思うと、気が重かった。
 
「里穂ちゃんって呼んでも良いのかな?拓ちゃんと付き合ってるの?」
 
「え、いえ、全然…」
 
里穂が慌ててそう答えると、美希は拓実に向かって「拓ちゃん、振られちゃったね」と悪戯っぽく笑った。
 
「あの、お二人はすごく仲良さそうに見えますけど、長いんですか?」
 
「そうそう、小学生の頃からずっと一緒、幼馴染なの。私と夫は拓ちゃんよりも6つ上なんだけどね。拓ちゃんは本当の弟みたいなもの」
 
「ね。ずっと昔から、俺のことコキ使ってたよな」
 
里穂の前では大人っぽく見えた拓実が、美希の前だと可愛らしく見える。
 
「それよりさ、今日来たのは、里穂ちゃんに話を聞いてもらおうと思って。彼女、医療機器関係で働いていて、広報部で顔が広いから、何か力になれるんじゃないかって」
 
「と言っても、うちの会社は、不妊治療関係の製品はほとんどないので、どこまでお力になれるか分からないですが…」
 
自信なく答える里穂に、美希が優しく言った。
 
「全然いいのよ、ごめんね、こんなところにまで呼び寄せて。拓ちゃんが強引に言ったんでしょう?気にしないでね。たかが不妊だし」
 
「いや、たかがじゃないでしょ」
 
遠慮をする美希に、拓実が鋭くツッコむ。里穂もなんだかんだ美希のことが気になり、話を聞くことにした。
 
「良かったら、聞かせてもらえませんか?」
 
「ありがとう。どこから話せば良いかな?私たち、もう結婚7年目になるんだけどね、全然子どもができなくて…」
 
美希の話によると、自然妊娠が難しいことに気がついたのが3年前の34歳の時。高齢妊娠になる手前だった。
 
「全然妊娠しないからおかしいと思って、近くにある不妊専門クリニックに行ったの。月の物が重いから、念の為診てもらおうって。そこで“35歳を境に妊娠率は下がる一方だから、すぐにでも治療を始めた方が良い”って言われて、始めることにしたの」
 
「具体的には、どんな治療だったんですか?」
 
話を聞くにあたり、里穂もある程度の知識は身に付けてきた。彼女ももうすぐ30歳。自分も将来“不妊”という問題に直面するかも知れない、と思うと、人ごとではない。
 
「初めに人工授精を2回、その後はずっと体外受精を繰り返したの。去年からちょうど保険が効くようになって、追い風だと思ったんだけどね…」
 
(※人工授精:女性側の排卵の時期に合わせて、精子を子宮内に注入する方法
  体外受精:卵子と精子を体外で受精させ、受精卵を妊娠しやすい時期に子宮に戻す方法)
 
美希は話している途中で、目線を落とし、言葉を詰まらせた。
 
「5回やっても、結局妊娠しなかったの。保険が聞いても毎回20万円ほどかかるし、保険は私の年齢だと6回まで。その上、ホルモン剤治療は体調も悪くなって、本当に辛かった。何よりね…」
 
美希は目線を落としたまま、自嘲気味にふふっと笑う。
 
「毎回期待を裏切られるのが、本当に悲しかった。医者には胚(受精卵が細胞分裂したもの)の染色体異常だろうって。胚が悪い場合は、どうすることもできないから、何度もトライするしかないって…。もう疲れちゃって、やめたいって思うんだけど、あと一回、もしかしたら次はうまく行くかもって思うと、どうしてもやめられなくて…」
 
涙交じりにそう語る美希の話に、里穂は胸が苦しくなった。
 
「他のクリニックは行かれたんですか?」
 
「考えたんだけどね、また一から診断してさらに時間がかかると思うと、今の所がいいのかなって。卵子もいくつか凍結しているし」
 
美希は作り笑顔を見せるものの、心底疲れているようだった。
 
「わかりました。お力になれるかは分からないですけど、調べてみます」
 
「ありがとう、助かるわ」
 
もうこれ以上無駄な期待をしたくない、というように薄く笑う美希を見て、里穂はなんとかして助けたい、と強く思った。

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