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ギホー部へようこそ 1-3 後輩のある非常識な行動に、不満爆発

前回までのあらすじ
大手医療機器メーカーの広報部で働いている村山里穂は、ある日突然『部署留学』という、他部署で数ヶ月働き、横の繋がりを強くする、という制度の対象として選ばれた。派遣先は研究所内にある『技術報告書管理部』通称“ギホー部”。あと3ヶ月で三十路を迎える里穂にとって、想像以上の田舎にある研究所に派遣されたことに、不満が募り…。

第1章 Vol.3

「村山さんも、研究所内では作業着を着てください」

次の日、総務部に渡されたのは、深緑色のダボダボの作業服と白い作業履だった。

「え、私資料を扱うだけなんですけど…」

「研究所内ではこの服を着るのがルールなので」

せめても気分を上げようとおしゃれをしてきたのに、とまたもや気落ちしながらも、里穂は我慢して着替える。

居室に入ると、曽根崎に「お、いいですね」と謎のお世辞の言葉をいただいた。

そんなこんなで数日が経ち、里穂は徐々にだが、仕事の全体像が掴めてきた。

技術報告書管理部は、工場含め、すべての事業所で書いた報告書を管理する部署だと言うこと。

居室内にある紙の報告書は、現在進行形で開発している部署のものだけで、その他は巨大な倉庫の中に保管されていること。

今回データを移行するにあたり、グラフや写真などのデータが稀にうまく移行できないため、その場合は手作業での直しが必要なことなど。

ここで里穂は、一つ疑問が浮かんだ。

「あの、データ管理システムを変更する前は、この部署って何してたんですか?曽根崎さん1人だけだったんですか?」

「そう、僕1人。日々送られてくる技法を確認して印刷したり、関連する資料同士に番号を振ったり、ですかね」

のんびりとした曽根崎の口ぶりに、里穂は「なんだ、要するに窓際部署か」と小さく悪態をつく。

そんな場所に、元の仕事を人に渡してまで来た自分が惨めに思え、少し意地悪な口調で言った。

「でも、それならChatGPTとかAIを使えば、これからは簡単にできそうですよね」

「ほぉ、さすが若い人は新しい技術に詳しいですね。チャット何ちゃらってそんなことができるんですか。そういうの、どんどん提案してくださいね」

里穂の言葉の意図を分かっていないのか天然なのか、曽根崎は感心するような口調で言った。

それがさらに里穂をイラつかせる。

この単調作業を終えて、できるだけ早く元の広報部に帰ろうと、里穂は黙々と仕事をこなした。



そんな日々が続いたある日。

朝から晩まで淡々とデスクに座って、同じような作業をすることに疲れた里穂は、不満が体中に充満し、爆発寸前だった。

そんな時、研究所の食堂で並んでいると、ある懐かしい声がした。

「ねぇ、里穂じゃない!?なんでここにいるの?」
「え、ウソ、紗香?うわー、元気?」

研究所の知的財産部に所属する紗香とは、入社時以来だった。

入社をすると、新入社員恒例の3週間の合宿がある。そこでいくつかチームに分かれ、朝から晩までみっちりと会社のことを叩き込まれるのだ。

毎日朝晩社歌を歌わされ、しばらくは無意識に鼻歌で社歌を歌っていたほど。

その時に同じチームだったのが、紗香だった。

「本社にいるって聞いてたけど、何?こっちに移動したの?」

「いや、それがさー、色々あって」

里穂は定食を取ると、紗香と向かい合わせに座った。

「部署留学っていうのがあったでしょ。あれの試験期間として選ばれちゃって。それでちょっとの間、こっちで仕事をすることになったの」

「あー、あれね。うちも知財部から下の子が2人出たけど、うちらの同期で選ばれるの、珍しいね」

紗香に言われ、これまで親しい人が周りにいなかったこともあり、里穂は「だよねー」と一気に愚痴モードになった。

「それも聞いてよ。ギホー部っていう超絶地味でつまらない窓際部署に行くことになって。はっきり言って、何のために存在するのか分かんない。あんなのさっさと外部に任せちゃえばいいのに」

「あぁ、曽根崎さんとこ?確かに、紙で管理する必要はないよね、っていう話は前から出てる。データ管理だけなら、他の部署に統合しようか、っていう話もちらほら」

「だよね、曽根崎さんも何の仕事してるんだか、よくわかんないし。いつも誰かと世間話してるだけ。ちゃっちゃと無くしちゃえばいいのに–––」

話している途中で、急にガンっと、椅子の背もたれに何かが勢いよく当たった。

振り返ると、食事を終えた新田が、仁王立ちで里穂を見下ろしていた。

「…黙って食えや」

怒りを露わにした新田の表情に、里穂は一瞬怯む。だがそれ以上は何も言わず、ぷいっと行ってしまった。

彼が去った後、紗香が「ふー」と大きく息を吐く。

「やっちゃったね。新田さんがいたの、気がつかなかった。新田さんって、曽根崎さんと仲良いから」

「確かに、よく『曽根さん〜』って居室に来てる。でも、別に本当のことだし。図星だったから怒ったんじゃない?」

内心ざわつきながらも、里穂は何事もなかったように、残りの定食を頬張った。

若干の気まずさを感じながら居室に戻ると、曽根崎が誰かと話している。

− また誰か来てる。呑気なもんだわ。

曽根崎のところには、毎日誰かが休憩がてら、ふらりと来ては世間話をしていく。

研究所に知り合いのいない里穂には、それが羨ましくもあり、サボっているようで腹立たしくもあった。

里穂はむすっとしながらも、早く仕事を終わらせようと、自分の殻に閉じこもってカタカタとパソコンを打つ。

その横で曽根崎たちが「はははっ」と笑い声を上げるのが、さらに里穂の神経を逆撫でした。



数日が経った頃。

「えっ?」

社内用インターネットのホームページに、デカデカと後輩の河合晶子の笑顔が載っている。

それは、社内の仕事紹介ページで、広報部若手のホープとして書かれていた。

内容はこれまで里穂が担当してきた、会社がスポンサーをするテレビ番組の打ち合わせに関するものだが、それを河合晶子が、我が物顔で紹介している。

しかも、最後にはこう書かれていた。

『今はファッション誌と組んで“内面から美しくなろう”をコンセプトに、女性の健康とキレイに関する情報を届ける動画や、本誌連載の準備をしています。これは1年かけて交渉し、準備したもので、実現するまでとても苦労しましたが、ようやく夢が叶います』

里穂はパソコン画面にくっつきそうなほど顔を近づけて記事を読み終えると、怒りで震えた。

「何これ!私がずっと進めてた企画じゃない。なんであんたの手柄になってるの!?」

ファッション誌とタイアップする話は、里穂がずっとやりたくて、一から交渉して立ち上げたプロジェクトだった。

気がつけば、デスクの受話器に右手を伸ばしている。

今は昼休み。まだ曽根崎は戻っていない。少しなら大丈夫だろうと、広報部の番号を押した。

「村山です、あの、課長をお願いします」

「あぁ、村山さん?どうかした?」

呑気な声をあげる課長に、里穂は捲し立てたい気持ちを抑えながら、言った。

「今日の河合さんの記事、あれどう言うことですか?ファッション誌の話は、私がいない間、課長が引き継ぐって話で…。それに、あれだけは勝手に進めず、私に言ってくださいって…」

「いや、まあ村山さんは今実質、他部署にいるから。そっちに集中しないといけないでしょう?それに女性誌のことは、若い女性の方が向いているから、河合さんが適任だと思って…」

面倒臭そうな声で答える課長にまで、怒りをぶつけたくなる。

「だからってよりにもよって、河合さんだなんて。彼女に任せたらどうなるか分かりませんよ。私を通してください!今の部署なんて、集中するほどの仕事なんてありませんから。それよりもさっさとそっちに戻してください。ここで学ぶことなんて、一つもないんです!」

気がつくと、抑えていたつもりが、大きな声で電話口に向かって叫んでいた。

その時、カタン、と後ろで音がする。

振り向くと、曽根崎と新田が二人で入口に立っていた。

里穂は慌てて「じゃあ、そういうことで、お願いします」と言って、勢いよく受話器を置く。

− まずい…。

顔をあげる勇気はなかったが、新田がこちらを睨んでいるのがわかった。

けれど、曽根崎の方は特に気にする様子も見せず、新田に明るく話しかけながら、いつものように資料棚の方へと入って行った。

− また、やってしまった…。でも、いいわ。どうせ数ヶ月だけだし、いずれ潰れ行く部署だし…。

バツが悪い中、今度は曽根崎と同じ年齢ぐらいの男性が入ってきた。

「こんにちはー。曽根さん、いる?」

「おー、班さんかー。どうしたの?」

その声を聞き、奥から曽根崎がひょっこりと顔を出す。

「いやー、この間は曽根さんのおかげで助かったよ。曽根さんがいないと、うちは回らんな」

「はは、何言ってんだか。班さんこそ、頑張ってんだろ?班さんになってから、現場が活気づいたって聞くよ?」

おじさんたちの褒め合いを聞きながら、誰だろうと思っていると、新田が後ろににゅっと現れた。

次の話


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