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ギホー部へようこそ1-4 工場長が窓際社員に頭を下げた理由

前回までのあらすじ
大手医療機器メーカーの広報部で働いている村山里穂は、ある日突然『部署留学』という、他部署で数ヶ月働く制度に選ばれてしまった。派遣先は研究所内にある『技術報告書管理部』、通称“ギホー部”。想像以上の田舎に派遣されたことや、後輩に仕事を渡してまで窓際部署と思えるギホー部に来たことに苛立ちが募る。ある日、曽根崎と新田がいることにも気がつかず、とうとう不満を爆発させる。そんな時、工場長がギホー部を訪れ…。

「おい、お前。あの人が誰だかわかってないだろう?」
 
「知りません。っていうかお前じゃなくて、村山です」
 
先ほどの気まずさもあり、里穂はぶっきらぼうに答える。
 
「はいはい。じゃあ聞くけど、村人Aはこの会社で、一番重要な部署がどこだか分かるか?」
 
「なんですか、村人Aって。重要な部署ですか…?本社の経営企画部とか?」
 
面倒だな、と思いながらも答えると、新田がこれ見よがしにため息をついた。
 
「はぁ、これだからバカは。うちは何の会社だよ?」
 
「だから、医療機器メーカーでしょう」
 
「そうだよ。メーカーなんだから、一番重要なのは、物を作ってる工場なんだよ」
 
これ以上は絡まれるのは厄介だと、里穂は無言で仕事を始めるが、新田は続けた。
 
「で、次に重要なのが、それを売ってくれる営業。本社なんかは偉そうに見えて、実は工場や営業を支えている、いわばサポーターみたいなもんだ。泥臭い仕事に見えるが、エース選手はいつだって、工場と営業なんだよ」
 
「はあ、そうですか…」
 
変なのに絡まれた、と、里穂は血の通っていない人間のような相槌を打つ。
 
「で、あの班田さんが、うちの中で一番大きい工場の工場長。つまり、うちの会社で社長の次に偉い人なんだよ」
 
「へぇ…」
 
工場長が社長の次に偉いかどうかは置いておいて、そんな偉い人が窓際族の曽根崎のところへ挨拶に来たことに、里穂は少なからず驚いた。
 
「その偉い工場長が、曽根さんに頭が上がらないって、どれだけすごいことかわかってる?工場長だけじゃない、技術開発の人間にとって、曽根さんはなくてはならない存在なんだ」
 
「確かに、曽根崎さんのところには毎日いろんな人が話に来てますけど、そんなに人徳があるんですね〜」
 
曽根崎がそれなりにすごいことは理解したが、そもそもこの話自体に興味のなかった里穂は、相変わらずパソコンをカタカタと鳴らし続ける。
 
すると新田が痺れを切らしたように、「おいっ」と里穂の肩を掴んだ。
 
「村人Aに、曽根さんの凄さを見せてやる。ちょっと来い」
 
そう言うと、里穂を無理やり資料棚へと連れていく。
 
新田は3つのファイルを里穂に渡すと、デスクへ持っていくように指示した。
 
そして、それぞれあるページを開いて見せた。
 
「これ見て、何か分かるか?」
 
「『カテーテル先端の強度試験』と『各社材料における経時強度試験結果』と、最後は…『決済申請書』?」
 
「そう、これらの共通点が、お前に分かるか?」
 
一つ目は、カテーテル先端のチューブの強度を測定したもの、二つ目は、あるポリマーの2社の材料を比較した物。三つ目は、ある会社からチューブを購入するための決済報告書。
 
一体これらに、なんの共通点があるのか…?
 
「わからんだろう。これをな、曽根さんは一瞬で見抜いたんだ。というか、何十万とある報告書の中から、曽根さんはこの3つの報告書に絞り、その共通点を見つけたんだよ」
 
里穂は思わず、部屋の中にある大量の資料が収められた棚を見渡す。これらの資料の内容一つ一つを、曽根崎は覚えていると言うのだろうか?
 
「で、何を見つけ出したかって言うと、“材質の経年劣化”だ」
 
「けいねん…?」
 
「年月が経つこと。一つ目の報告書は、工場の開発チームが出したもの。ポリマーの強度や柔軟性の試験。これはカテーテルが血管内に入った時に、適切な押し強度と柔軟性を持っていることを示す」
 
3年間営業にいた里穂にも、ある程度の意味はわかった。
 
つまり、カテーテルと言う、血管に入れる細長いチューブ状の器具が、血管内でも潰れたりせずに、奥まで入っていくだけの性質が必要だと言うことだ。
 
「二つ目が、5年前に研究所の開発チームが出した、ポリマーの時間による劣化試験。結果を見ると、A社とB社で同じ材料を使っているにもかかわらず、試験結果に違いが見られる。このA社の材料だと、ある条件をかけると、経年劣化がひどくなることがわかる」
 
「条件っていうのは…、ここに書いてある“熱を一定時間以上かけた後”ってやつですか?」
 
「そう。カテーテルを作る際にも、同じ条件で熱処理が行われているんだ」
 
新田の話から、里穂は推測をする。
 
「つまり、カテーテル先端にこれらの材料が使われているってことですか?でも、一つ目の技法では、製品加工後の経年劣化の試験で、基準値をクリアしてますよ?」
 
すると新田がニヤリと笑った。
 
「決済書を見てみろ」
 
そうして最後に、資材部が出した決済書の備考欄を指差した。そこに、こんなことが書かれていた。
 
“コロナの影響で、チューブ加工会社(C社)の使用していたB社の材料が高騰し、一時的にA社の材料で対応していたが、安定性の観点からB社に戻したため、これまでよりも2.4%値上がりしています”
 
「このA社とB社って、2番目の報告書にあった…」
 
「そう。この“一時的”っていうのがポイント。うちが直接取引をしているのが、チューブ加工会社のC社。ずっとB社材料のチューブで製造していたが、“材料元をA社に変更した”という情報が、C 社から伝わってなかったらしい。知らずにA社材料のチューブが混ざっていた」
 
A社は、すぐに使えば問題はない。だが年月が経つことで、材質の変化が起きる可能性がある。
 
材料が届いた際に、毎回検査は行われるが、“熱処理後の経年劣化試験”までは行われなかったため、誰も気が付かなかった。
 
「けれど、C社はA社とトラブルがあり、B社に戻すことになった。材料費が高くなるため、資材部が決済をあげた。ここでやっと開発部は、A社の材料を使用していたことを知るが、試験はクリアしていたからと、問題視しなかった。だが、経年劣化のことに気がついたのが、曽根さんだ」
 
他の2つの技法を見ていた曽根崎が、たまたま資材部が上げた決済申請書のコピーを見つけたことで、問題が発覚したのだ。
 
「先端の、ほんの小さな部品。けれどこれが劣化することで、操作性に問題が出てしまったり、最悪の場合、血管を傷つけるかもしれない。とても少ない可能性ではあるけど」
 
「そんな小さな可能性のために、試験をし直して回収したんですか?すごい損害額になるんじゃ…?」
 
すると、その話を聞いていた工場長の班田が、割って入って来た。
 
「そうだよ。幸い組み立て前に曽根さんが気づいたから、大ごとにならずに済んだ。けれど、一人でも傷つく患者さんが出てきてはいけないんだ。それが、医療機器を作る僕たちの使命なんだよ」
 
工場長の言葉の重みに、里穂は思わずゴクリと唾を飲み込む。
 
これまで自分は“医療機器メーカー”に勤めることよりも、“広報部”にいることの方が、重要だと思っていた。
 
それどころか、医療機器メーカーは地味でダサい、くらいに思っていた。
 
けれど彼らを見ていると、そんな自分が恥ずかしく思える。
 
班田と新田が帰った後、しんと静まり返った居室で、里穂は静かにパソコンを眺め、一人考え込む。
 
ゆっくりと立ち上がると、曽根崎のデスクへ向かった。
 
「曽根崎さん。先ほどは、申し訳ありませんでした。私、これまでやってきた仕事を急に取り上げられて、行きたくない部署に行かされたって、ずっと不満ばかり思っていました。ここの仕事をきちんと知ろうともせずに…」
 
頭を深く下げる里穂に、曽根崎は優しく「いえいえ、顔をあげてください」と答える。
 
そして「ちょっと待ってて」と言って、慌てて居室を出て行ってしまった。
 
− はぁ、流石に怒ったよね…。
 
落ち込みながら待っていると、曽根崎が両手にコーヒーを持って帰ってきた。
 
「コーヒーブレイク、しましょうか」
 
曽根崎は笑顔で、温かいコーヒーを里穂に差し出す。里穂も、素直に受け取った。
 
2人でコーヒーを一口飲んだ後、曽根崎がゆっくりと口を開いた。
 
「技術報告書って、知らない人が見れば、ただの紙切れなんです。でも会社にとっては、とても大きな財産で宝なんです」
 
“宝”と言われ、今まで軽んじていた自分を、里穂は申し訳なく思う。だが曽根崎は、それを見透かしたように、言った。
 
「でも、それに誰も気が付かない。みんな“報告書は過去の自分の仕事を上司に報告するためのもの”って思ってる。確かにチーム内で情報共有できていれば、必要ないかもしれません。けれど、過去や他のチームから学べることって、実はとても大きいんです」
 
話しながら曽根崎は、資料の方を愛おしそうに眺める。里穂も釣られて資料の方を見て、前から気になっていたことを尋ねた。
 
「もしかして…ファイルに貼ってあった付箋って、曽根崎さんがつけたんですか…?」
 
「そうです。関連する物がすぐにわかるようにと思って」
 
各々のファイルには、沢山のポストイットがついていた。曽根崎がすべての報告書を読み、関連するものを見つけ、一つ一つ丁寧に貼って行ったのかと思うと、里穂は素直に感心した。
 
「村山さん、医療の新しい手技には、何が必要か分かりますか?」
 
「えっと、やっぱりお医者さんたちが研究して、新しく開発するんじゃ…?」
 
突然の質問に困惑しながら、里穂が答える。
 
「そうですね、でも、それだけじゃないんです。実は、医療機器の力って、とても大きいんですよ。確かに初めのアイデアは、現場で働く医師のから生まれるかもしれない。でも、それを形にして実現するのが、医療機器、そして開発者たちなんです」
 
曽根崎は、自分に言い聞かせるように言った。
 
「最近の低侵襲治療なんかもそう。みんながみんな、神と呼ばれるような有名ドクターに手術してもらえるわけじゃない。どんな医者がやっても、同じような手術結果が得られる。それを目指すのが、僕たちの仕事なんですよ」
 
いい医療機器ができたからこそ、新しい手技が広がる。それは確かに、営業をしている時に、里穂も目にした光景だった。
 
「だから、技法っていうのは、開発者から未来へ向けたメッセージなんです。患者を救い、医者の助けになる。そんな医療機器を作るための、未来へのメッセージ」
 
曽根崎を「ロマンチストだな」なんて思いながらも、里穂の心に彼の言葉が初めて響いた。
 
里穂が今いるこの部署は、単なる資料保管の場所ではないのだ。開発者たちの、大切な思いを預かっている場所なんだ、と。
 
「ところで、曽根崎さんって、決済申請書まで読むんですか?もしかして…」
 
すると曽根崎は、少年のようにニッと笑った。
 
「そうです。ここは技法だけじゃなく、その他の報告書も管理しているんです」
 
「ひぇ…それじゃ…」
 
「技法が終わっても、まだまだやることは沢山あるんですよ〜」
 
里穂の肩を軽くポンと叩くと、曽根崎は「ワハハ」と笑いながら、資料棚の奥へと消えていった。

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