2022年マイベストコラム 第3弾

みなさん、こんにちは!
早稲田哲学カフェのはな🌸です。このコラムも、2022年にわたしが書くのは最後だと思うと、1年のあたたかな達成感とつぎの1年へのわくわくがわいてきます。
ところで、今年の早稲田哲学カフェのコラムのなかで、わたしが一番強い印象を受けたのが、あきひと君の「ラップを哲学する」です。


あきひと君は、ラップには「怒り」が込められている、と哲学してくれます。世界の弱者やはみ出し者が声を大にするラップは、メッセージ性の強い芸術です。

あきひと君のコラムを読んだとき、
「だから、わたしは哲学をやってるのか」
と再確認しました。

というのも、わたしの人生は「怒り」が大きな原動力であるからです。自分の複雑なバックグラウンドでは、なかなかまわりになじめない子ども時代を過ごしました。そんななかでわたしがいつも抱えていたのは「怒り」でした。

では、なんで「怒り」が哲学にいきつくのでしょう?

それは、「怒り」がつねに疑問を提起するからです。

「なぜ」

わたしのバックグラウンドはわたしに「怒り」を通して、「なぜ」と問うことを要請しました。
なぜ、わたしはまわりにひとと違うのか、
なぜ、わたしはこんな目に合うのか、と。

音楽の調べにあわせて、その「怒り」と「なぜ」を言葉にするラップは、「ひとりじゃないよ」
そう、伝えてくれるように感じます。

わたしは「なぜ」を哲学に向けます。なぜ、なぜ?
そればかり考えてしまいます。

ラップが音楽で、音楽が芸術ならば、

もしかすると、哲学は、学問である以上に、芸術なのではないでしょうか。

そんなことを思い起こさせてくれたのが、あきひと君のコラムでした。

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