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うつ病とつき合いながら自分の人生を生きる 2
うつ病を患って15年、色々な事がありました。
子供も成長し、社会人になりました。
一番辛かったのは思うようにならない自分の体でした。
朝が来るのがとても怖かった気がします。
起きても倦怠感が酷く、洗濯機を回すのがやっと・・・
家事が負担で夫との離婚も考えました。
どうして自分がこんなに辛い目に合わないといけないのか?とベッドに座りながら泣いたり、塞ぎこんでいる日々でした。
そんな時に3.11の東北大震災を目の当たりにしました。
どす黒い津波が人間の築いたものを全て破壊していく様を見て、現実ではない気がしました。
私の住んでいる場所も停電し、3月でしたが寒い日でした。
オール電化であった為、暖房が使えず、カップラーメンをすすり、夜は震えながら布団に入ったのを覚えています。
震災にあった人たちは東北の方、沢山の人が家を無くしこの夜を迎えていると思うと涙がでました。
次の日、電気がつき日常のありがたみがわかりました。
命があり、家がある、家族がいるという事は幸せなのだと。
普段はあまりに日常過ぎてわかりづらく、認識できていないことでした。
それから少しずつ暖かい日には家の周りを歩いて、他の家の庭に咲いている綺麗な花を見たりと、人間とのコミュニケーション以外で気晴らしをしていたと思います。
少しずつ少しずつ、気の向くまま。
動けない日は動かない、外に出たい時は散歩をしたりしました。
うつ病の回復し始めた頃はとにかくやりたくないことはやらないようにしました。
病気である特権をフルに使っていたと思います(笑)
それまでは義父母のご飯の支度もしていたのですが、何せ仕事をした後の夕飯作りはキツイ・・・
夫と子供の分だけなら適当にということもできますが、義父母もとなるとそうはいかないものです。
倒れる近々はもう献立さえ思いつかない日々でした。
でも倒れたことにより、義父母のご飯の支度はお役ごめんになりました。
うつ病になって良かったこともあるなと。
人生は長く、色々な事があり、ピンチはチャンス、怪我の功名といったことわざのように、発想を転換していくことも必要かと思います。
病気になったことも、今では無駄ではなかったと思えます。
格差社会で恵まれている人と比べると落ち込むこともあるし、相手の言ったことが頭から離れない時ももちろんあります。
それが普通なことです。
私の住んでいるところはそこそこ田舎で無人の野菜販売所があります。
いつもは車なのですが、今日は歩いていくかと思いその前を通るとお目当てのブロッコリーがありました。
スーパーで買うより安く新鮮です。
それを購入し、仕事場は向かいました。
こんな何でも無い事も幸せを感じます。
日常がおくれる事、当たり前であって当たり前ではない。
今年は特にそう思いました。
うつ病はだいぶ良くなったものの、更年期という壁が前に立ちふさがりました。
今年の夏は暑く、とにかく立っているだけでも頭からバケツをひっくり返したような汗をかくようになりました。
目眩もひどく、朝起きると目が回っていて歩くこともできない。
そんな日が週の半分ありました。
自分は「年金貰うまで生きていないかも・・・」と初めて感じた年でした。
更年期はほとんど症状ない人からから寝たきりになってしまう人がいる位、症状の出方が人により違います。
うつの次は更年期か・・・と思いながらも、「まぁこれも上手に付き合うしかないよね」とうつ病の経験から割とすっと受け入れた気がします。
いつかは健康になる日が来る!
動けるだけ御の字と思いながら日々を過ごしていこうと思います。
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