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どん底から 人生が劇的に好転した ひとりのシングルマザーのストーリー第2章


私はシングルマザーの方に
1人の女性として輝いていて欲しい

初めまして。山崎五月と申します。
第一章の文章は、過去の私の実体験です。

1987年、神奈川県出身
自営業の父と専業主婦の母の間に生まれ、
3姉妹の真ん中として育ちました。

幼少期はとにかく静かで手のかからない子だったそうですが、
小学校にあがると外で遊ぶのがだいすきで、バスケに夢中な小学生でした。

私が16歳の時、大好きだった父が癌で亡くし、
母が女で一つで私たちを育ててくれました。

料理が上手な母の影響を受け、高校生の時、
調理師の学校に行きたいと思いましたが、
父が亡くなり収入はゼロ。

専業主婦だった母がパートに出るようになったけど、
生活は苦しく、当時母に
「専門学校に行きたい」と言うことができませんでした。

ですが、私は母に負担をかけたくないと思い、
自分のバイト代でやりくりしていましたが、
友達とも遊びたい。洋服も化粧品も欲しい。
高校を出て、時給のいいキャバクラの仕事を始めました。

頑張れば頑張るほど増える給料。
欲しいものは買えるようになりすごく楽しかったのですが、
連日のお酒の飲み過ぎで体を壊し、昼間の仕事を探しました。

そこで、人と話すのが好きだった私は営業の仕事を始め、4年勤めた頃、
元旦那と出会い、付き合って5ヶ月というスピードで妊娠をしました。

25歳で結婚、出産をし、元旦那の仕事の都合で
神奈川県から群馬県に引っ越し、
知らない環境での初めての育児に産後鬱になり、
夜中に泣きながら起きるほど精神的に不安定な時もありましたが

「家に引きこもっててはだめだ…」と
子どもにお友達を作ってあげたいという思いで、
子育て支援センターなどに出かたりして、
徐々にママ友ができ、明るい私にもどりました。

その後、男の子と女の子を出産し、3人の子供に恵まれました。

ですが、、、

元旦那は朝は早く帰りは遅く、ワンオペ育児

1番下の子が2歳になる頃、工場のパートに出るも、
お局上司からの嫌がらせにあい、
育児と家事の疲れや、知らない土地での生活も6年目になり、

「ねえ!いつまでこんな生活が続くの!!!」

当時旦那に泣きながら訴え、私の心は完全に崩れてしまいました。

そして長女が小学校に上がるタイミングで
私は子供を連れて地元に戻り、子供と4人での生活が始まりました。

ずっと憧れていた鎌倉にあるオシャレなカフェで働き、
元々接客が好きだった私にとって、
そのお仕事は最高に楽しいって思える仕事でしたっ!!!
友達と遊んだり、親や兄弟ともすぐに会える。帰ってきてよかった。

そう充実した日々を送っていたのですが、、、、

1年間離れて暮らしていた元旦那とまた5人での生活が始まったけど
私は旦那に対して「好き」という気持ちが完全に冷めていました。

家に一緒にいても会話もなく、息苦しい、
旦那が帰宅すると逃げるようにベットに入るような生活で、
そのうち喧嘩は増え、会話は子供たちを使って話すようになっていました。

大声で怒鳴ることも増え、喧嘩したイライラを子供に当たる旦那を見て、
「もう終わりにしよう・・」

一緒にいては、子供たちを傷つけるだけだ…
私自身も、元旦那といるのはしんどいだけで、
全く笑っていないことに気づきました。

まずは離婚届をとりに行きましたが、金銭的に余裕があるわけではないし、
1人で3人を抱えて「離婚」をすることに踏み切れない私がいました。

ですが、今のままの生活を続けてては、
全員幸せになれない…それだけはわかっていました。

モヤモヤしながら過ごしていると、旦那からの1通のLINEが…
開くと「離婚しよう」と書いてありました。

そこで「あっ、お互いそういう気持ちだったんだ。」
そんな大事なことをLINEで済ますほど、
面と向かって言えない関係だったんだ。

わたしは今まで何にしがみついていたんだろうと気づき、

離婚するまでは大変でしたが、
私と子どもたちの4人での生活がスタートしました!

しかし・・・

働き始めたカフェはコロナの影響で閉店してしまい、
3人の子供を抱えて

無職

になりました。

必死に仕事を探したけど、コロナ禍で私ができそうな仕事は応募が殺到していて、面接で落とされ、子供がいてもOKなところに電話しても、
電話先で子供の声が聞こえただけで断られたりしていました。

仕事探しは難航し、貯金を切り崩す生活で、来月の支払いどうしようというぐらい切羽詰まっていた時、昔保険の営業をしていたときの上司から、

「もう1度保険の営業の仕事やってみない?」と声をかけていただき、
自分がやりたい仕事じゃなかったけど、
生活や子供のためには贅沢は言ってられないと思い、
もう1度保険の営業に戻りました。

楽しいと思って働いていたカフェの仕事から、
好きでもない営業職に変わり、毎朝仕事に行くのが憂鬱で、
やりがいを感じられず、ただただ仕事がストレスでした。

仕事一つ変わっただけで、毎日が灰色の景色で、子供にまだ手がかかるから、働きる時間には限りがあるし、資格も経験もない私が他に働ける場所も雇ってもらえるところもないだろうと、人生を諦めていました。

子どもたちと幸せに笑っている生活を想像していたけど…

週5日会社員としてフルタイムで働きながら、
好きでもない仕事と家事と育児に追われ、
まったく時間に余裕がないこと心にもゆとりがなくなっていき、

毎日イライラして、子供たちに怒鳴り散らす、
鬼ママに変身していました。


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