見出し画像

偽物の自己肯定感

自己肯定感の高い人には2種類ある。
理論的なタイプとそうでないタイプ、後者であれば何の問題もない。なぜなら、いついかなる状態でも自分を信じていられるからだ。
しかし、僕のような前者の場合手放しでほめてよいものではない。

理論的に自己肯定感を高めているタイプは客観的な能力に自身の価値を求める。例えば、「勉強ができる」「深く考えられる」など、周りの人と比べて自分が優れている部分を客観的に理解し、自分の長所として自信をもつ。
このタイプは周りの人間から見ると、すごく優秀な人に見える。なぜなら、自分の強みを理解し、自己肯定感が高く、自信もあるからだ。

しかしこれは偽物である。
この自己肯定感は自身が他者との比較によってその肯定感をえている。だから他者と比べて自分が優れている時は大丈夫なのだ。しかし、小学校、中学校、高校、大学と成長していくにつれて「自分は思っていたよりも普通である」ことに直面する。もちろん一部の人はそんなこと考えずに生きていけるのだろうが、ほとんどの人はそうではない。上には上がいるもので、「今までは自分にしかないと思っていたものが実はありふれたものでした」なんて現実が普通に存在してしまう。

自己肯定感がもともと低い人からすればそんなこと慣れっこであろう。
今までにも経験したことがあり、それに対する対策も得ていることであろう。しかし、今まで自己肯定感が高かった人たちはそうもいかないのである。今までは他者との比較で成り立っていた自信が一気に崩れる。そして、もっと恐ろしいのはその現実を受け入れることが容易でないということだ。

正直に言おう。認めたくないのだ。自分が実は何にも持っていないなんて現実認められないのだ。それゆえ僕たちは早急に自信をつけようとする。例えば勉強時間を急激に増やしたり、お金を貯めようとしたり、とにかく「誰から見てもすごいこと」を始めだすのだ。

でもそんなこと不可能なのだ。ふつう、人はゆっくり成長していく。短期的に頑張ったところで得られるものなんて大したことないのである。だから本来自分の自信を喪失したときは、焦らず、周りの人の手を借りながら一歩ずつ歩んでいくしかないはずなのだ。

しかし、出来ないのだ。そもそも自己肯定感が高い人間は「人に頼ること」が出来ないのである。生まれてこの方「自分はほかの人よりも優れている」と信じ込んできた人間は今更「できない」と言えない。自分よりもすごい人に「そんなこともできないのかよ」と思われるのではないかと思ってしまうのだ。それゆえそういったタイプは一人でだれにも相談せずに自分を変えようとするのだ。だがすでに分かっていると思うがそれは無理なのだ。よっぽどの才能がない限り一人でだれにも相談せずに大成長するなんてありえないのだ。
その結果、変わらない現実に絶望し、精神を病んでいきやすくなるのだ。

きちんと書いておくが、筆者もその一人である。今でもできるふりをしてしまうし、自分で何とかしようとしてしまう。でもそれじゃあダメなのだ。
一度今の自分を受け入れて、一からゆっくり自分で歩いていくしかないのだ。これを読んでくれた人はぜひ自分に問いかけてみてほしい。
「自分は自己肯定感が高いのか」
「それは理論的なものなのかそうでないのか」
そしてもし、僕と同じタイプであったら、今のうちに「できない」という訓練をするべきだ。少なくとも一人くらいは「できない自分」を見せてもよい友達を作っておくべきだ。終わらない悪循環につかまる前に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?