みけこの散歩16(浮き上がるためのこと)
深い水の底にいた。
底を這うように泳ぎ、息が続く限りそこに居たいような気にさせられる。
ぐったりと力を抜いて横たわる。
ゴボゴボザーザーいう耳鳴りか水の音だけの閉じこもった世界。
どん底で悲しくて鼻が痛くて目がまともに開けられなくて、息ができなくて苦しいのに。
けれど、だからそんなに長くは潜っていられない。
空気を吸いたくなる。
もがくように浮き上がり、堪えていた息をしようとする。
体にはバイオリズムとかホルモンバランスとかの自分ではコントロール不能な何かが確かにあって、浮き沈みを繰り返す。
これは自分のせいではないらしい。
あまりひどいならコントロールの助けを薬にしてもらっていい。
とにかく、私は今日浮き上がってきた。
昨日、自分でnoteに書いたらそれで自分で、はたと気づいた。
迷惑をかけないということ。
地味だが、これはかなりの力をくれた。
迷惑をかけないように生きるだけでもいいんじゃないか?
迷惑をかけないようにするって、結構大変で時間も力も必要で、現状維持よりも少しは前向きだし…
いや、現状維持だけでもいい。
時間と共に朽ちていくことを阻止しようとするのだから、今の私にはそれだけでもいいかな。
その次、徐々に誰か何かのためになることができて、誰かに必要とされるようになれるかも知れないと。
書くということで、自らが見える。
書くことって体にいいんじゃないか?
書くことで俯瞰し、水の底にいる私を見つけた。
そうするうちに、TVから偶然にも
「50過ぎたら元気が出なくて意味のない時間も過ごしがちになるものだから全然それでいい」などと、医者の言葉を引用してタレントが語るのが耳に入り心が軽くなる。
なんと単純なものか….
呆れるが、要するにそういうことなのだと思う。
些細なきっかけに目を向け始めたら向きは変わる。
そうして、後回しにしてきた山積みの物事、いつか読もうと置いた本、リメイクしようと箱から引っ張り出したのにそのままになっている服…
それどころか脱ぎっぱなしの昨日の服に、出しっぱなしの裁縫箱やら色鉛筆やら…
落ち着かず悶々と、何かをやらなくてはいけないけれど、長く集中できなくて、ソワソワとあちこちに手をつけた物をとにかく片付けようと動きだす。
エコバッグをいつものショルダーバッグに戻すような、ちっちゃいことから元に戻して、できるだけ物を少なくなるように少しづつでも処分する。
一気にやって後悔したことが何度もあるから、少しずつ、少しずつでいい。
成果が目立ってなくていいから
それでもきっと、積み重ねたことは後になって分かるから。
後に迷惑がかからないように。
浮上しながら錘を外すように。
そうして、浮上している時間をできるだけ長く保とう。
どうせまた沈む時が来る。
沈んだ時に、溺れて鼻にいっぱい水が入ったみたいにポロポロ泣き続けるのじゃなくて、
いつまでもこのまま沈むのかと恐れるのじゃなくて、
これだ、またこれだ。この感じ知ってると見抜いてほしい。
単純なことなんだと。
そしてまた浮上し始めている自分を想像してほしい。
そうしたら迷惑をかけなくて済む。
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