みけこの散歩13(窓に似てること)
きちんと閉まっていない窓が、
ピューピューと音を立てている。
苦しげで悲しげなその風の音を聞くと、まるで外が嵐のように思える。
ぎゅっとしっかり閉めクレセント錠を上げると静かになった。
これで大丈夫、風も雨も音も入ってこない。
ふと思った。人の繋がりは窓に似ている気がする。
ちょっとだけ隙間があると、嫌な音が聞こえくることがある。
耳障りなその音は、きっと私が聞いて楽しい話しじゃない。
そう勝手に決めつけてるだけかもしれないけど。
しっかり開いた窓は風通しがよくて、明るい光も入って、穏やかな時には開けてることを忘れてしまうほど。
一緒にいると心地いい。
だから、何でもほんの些細なことでも共有したくなる。
けれど、開けたままの窓から急な雨が部屋に吹き込んでしまうみたいに、涙が吹き込むことも…
そんなふうに悲しみが伝わる。
私は、厚かましく覗きこまれるのも、相手を深く覗き込むのも少し苦手だから、薄いレースのカーテンがあると少し安心する。
手で触れるのも少し難しい。
だからいつも希薄な関係までしか作れない気がする。
臆病な自信のなさと遠慮が、私の周りにバリアを張っている。
お互い開け放った窓で、匂いも温度もよく知っていて、わかり合えているつもりだった。
それはずっと永遠に当たり前に続くはずの、続けるべきであるはずの関係。
けれど、少しづつ閉めて行った窓。
閉まりきっていない窓が、風の苦しい音を鳴らすみたいに、最後の隙間の時が1番辛かった。
もう一度大きく開けてみれば、吹き込む風は、そんなに強くなくて、耐えられなくもないことが分かったかもしれないのに…
私はピシャリと閉め、鍵をかけた。
いくつも月日が去って、その窓を思い出さない日が多くなった。
でも、そのうちにその窓の外は穏やかな風だけが流れるようになって、今では思いだした時に開けてみると、また昔みたいに笑ったり、心配したりできるようになった。
私に幾つもある窓の中には、雨戸を閉めたままにして、窓はなかったことのようにしているところもある。
そうすれば楽になる。
いつも暖かさを入れてくれる窓や
小さいけれど、そこからは遠くまで景色が見える窓。
そういう窓辺には時々行ってゆっくり時間をすごす。
ただただぼんやりと景色だけを眺めたり、この一瞬をずっと留めて置きたいと写真を撮ったり。
ここが好きだな楽になれるなと思える窓がある。
もうすぐその窓の近くには大きな建物が建つ。
そこからはきっと私の好きな広くて遠い景色が見えなくなる。
遠くに行けない長い休みも、そこから大きな空と雲を眺めるだけで、私を満足させてくれたのに。
それは、親しくなった友人が遠いところに行ってしまう予定が決まったのにも似ていて寂しい。
背伸びして覗くと憧れの景色が見える窓。
つま先立ちでやっと見えるだけだから、全部が見えてるわけじゃない。
ほんとに見たかった景色なのか?
頑張っていろんな風や光を取り込まないといけないと思っていたけど…
しんどいな。
踏み台に乗らなくても届くぐらいの窓だけ開けていればいいかな。
ずっと安心できる好きな窓辺を見つけて一旦のんびり座ることにしよう。
そしたら、また新しく開けたいと思える窓が見つかるかもしれない。
どこからともなく、
ぐすぐずしてると老いて朽ちるよと、囁く声が聞こえるけれど。
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