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みけこの散歩20 (「知らない」と言う人たちのこと)

 昨日は実家の両親の所に様子を見に行く時間を取れなかった。

 今朝、実家を覗きに行くと朝食は終えたようで、母は相変わらず冷蔵庫を開けて何かを探している。

 冷蔵庫が早く閉めてくれと、心細げにピーピー鳴いているのも無視して、ゴソゴソと探す。満員の冷蔵庫。冷気が回る余地はない。

 テーブルの上には、父に冷凍室から出されたでたあろう、アイスキャンディーが、袋の中で甘い甘いオレンジジュースに姿を変えて横たわる。

 その父は、いつも通りひたすら脛のあたりに虫刺されの薬を塗っている。
 寒い時期には乾燥による痒みで、皮膚科で処方された薬を大量に残して、市販の液体かゆみ止めを塗る。
 夏は、ステテコから出た脛から足を虫に刺されたと、液体かゆみ止めを塗る。
 年がら年中、ムヒだのウナだのを居間で塗っている。

 しかし、この光景はある意味、今日も変わりないことを表してはいる。

 元気そうならば、難解なことが起きているのが発覚する前に
「何も変わったことないね。」
と決めつけて、早々に退散するのが一番楽なのだが…

 いつも、言っておかなければいけないことや、予定を忘れていないか確認することや、気になることがあって、サクサクと退散するわけに行かず、ズルズルと自ら泥沼に足を突っ込むことになる。

 しかし、今日は休日。かかりつけの医院に行くこともない。体調の変化も無さそうなので適当に退散しようとすると、父が、
「廊下に置いてた箱な、昨日、お前が持って帰ったやろ。あれは、何が入ってた?」
そう尋ねて来た。

 来た!なかなかの難問。
「箱?は持って帰ってないよ。それと昨日は忙しくてここへ来れなかってん。」
この返答は、失敗だったか?

「え〜?昨日来てへんか?」

「うん。時間なかってん。」

「ほんだら、一昨日や。」
と、父は易々と日にちの変更をした。

「そうか…箱は持って帰ってないねんけどな、どんな箱のこと?」
 そう尋ねてみると、父は手で大きさを表して

「これぐらいのん。廊下に置いてて中に何が入ってるか、知りたかったんや。ヨシコ(仮)に聞いたら、お前が持って帰ったて言うねん。」

 最近は、物がどこに行ったか分からなくなると、全て私が持って帰ったことになっている。

 確かにこっそりと、カビた食べ物や遥か昔に賞味期限が切れたものを処分することはある。

 賞味期限が切れて少しぐらいの期間なら私が持って帰って食べる。
 もったいない!と思ってしまう。食べ物だって可哀想だ。

 だがしかし、父の言う「箱」に心当たりは無い。

 母に、どんな箱の事か尋ねてみても、鬱陶しそうな表情を浮かべ
「知らん」とだけ。

 父は「忘れた」をよく使うようになり、母は「知らん」をよく使うようになった。

 記憶があいまいだったり、やるべきことを忘れてしまった時は、何かしらその事について覚えていて、しまった!と反省する。
 それは、忘れたことを認識できているからだ。

 ただ、根こそぎ、きれいさっぱりと忘れた事も忘れたら、それは「知らない事」になる。

「はじめまして」なのだ。

 父の「忘れた」も、かろうじてその言葉を使っているだけの時もある。
 自分が物忘れをすることについて自覚してくれているので、思わず口から出た感じで、
「知らん」と言った後に、
「忘れてしもたんかもしれん」と付け足す。

 父が自分の記憶と闘っているのが分かる。
 それだけにあまり強くは言えない。

 父は、不服そうに
「お前が持って帰ったなら帰ったと言うてくれたらいい。別にそれに対して文句を言うつもりはない。」

 と、私が持って帰ったことにして、この話を解決したことにしたいようだ。

 疑いをかけられた私は、不本意ではあるが諦めるしかないのか。

 やったことの証明は出来ても、やっていないことの証明は困難で、事件の日を変更されたことにより、もはや昨日のアリバイは、役に立たない。

 仕方なく、箱は持って帰っていないと一応前置きを付けて、何か無くなって困っているなら一緒に探すからと、そう言ってその場をやり過ごすしかなかった。


 先日、父が全くの思い違いをして私に文句を言って来たので、それを何とか修正してもらおうと、頑張っていろいろと説明をしたことがあった。

 だが、そのいろいろが、よくなかったようで、
「そうやっていつも口数を多く、あれこれと言いくるめられたら、こっちは反論のしようがない」
と、余計に怒らせてしまった。

 私が順を追って、時には例を上げながら説明することは、父にとっては、ただたくさんの言葉数で「いいくるめられた」と感じるのだ。

 それには驚いたし、落胆したし、その場ではまさに言葉に詰まって一瞬何も言えなかった。

 そのあと私は、自宅に帰ってからも「言いくるめられる」が喉の辺りに引っ掛かったままで、食器を片付けながらも、シャンプーしながらも、ずっと考えていた。

 もう、次からはハイかイイエしか答えてやらない。とも思った。

 だが、そんなわけにも行かず、毎日が過ぎていく。

 言うことがコロコロ変わるので、ボイスレコーダーで会話の一部始終を録音してやろうか?と考えた。

 私に言った事や頼んだ事を忘れてしまうので、目の前でいちいちメモを書く事も考えた。

 けれどその証拠を提示して、あなたは間違っている!と突きつけて何になる?とも思った。

 体に関する事、お金が絡むこと以外は、あやふやでいいか…。

 根こそぎ忘れてしまった人に、勝負して勝っても後味が悪いだけだ。

 「知らない」と本人が言うのだから、何も覚えてはいないんだ。

防犯カメラを取り付けたいと何度思ったか。
 間違いを突きつける目的ではなく、どこかに行ってしまった物を追う目的で。


 さっき珍しく、自転車で数分の所に住む弟が来た。 

「ニンジン貰いにきてん。婆ちゃんが、お姉ちゃんがたくさん持って帰ったから分けて貰いって。」

 なぜこうも、私に難題を持ち込むのか?

 母の知り合いから家庭菜園で採れた野菜を頂いていたのを、確か1週間程前から、玄関土間に置きっぱにしていたではないか。

 ほんの30分か1時間前に、私はその段ボールを睨みつけながら横を通り、
「食べきれないなら、傷んでしまわないうちに、カズオ(仮)とこにあげたらいいのに」

 と、弟家族に食べるのを協力してもらうように勧め、なんで先週のうちにあげないのか?と文句も言ったのを思い出した。

 弟を連れ実家に戻ると、少し前には玄関に置かれていた段ボール箱は姿を消していた。

 母に聞いても「知らん」と言う。

 そして、しばらく経って冷蔵庫から小さなニンジンの使い残しを持ち出し、
「ニンジンはこれしかないねん。」
と言った。

大量にあったニンジンは何処へ?


 防犯カメラが欲しい。
 一部始終を遡って見たい。


 そんな現実的ではない希みを叫ぶより、ただこうしたモヤモヤをここに書き綴らせて貰えることが、私を癒す。


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