ピンクのフリフリ着てる自分を許せたかもしれない

大学の卒業式のために、袴をレンタルしようと思ってお店に行ってきた。流行りの洋柄、ベージュや茶色の着物やレース着物あたりに狙いをつけ、何点か羽織らせてもらった。満足。

成人式の時は白地に赤や黄色のモロ古典柄の振袖を着たんだけど、これがあまり似合っていなかった。正確には、前撮りの時のメイクや写真を見てものすごく不快だった。

私は骨格や体質がかなり男性的だ。骨格は勿論ナチュラルだし、体のいたるところの骨が角ばっている。その上顔は残念なほど整っていない。今もなお芋オタク感が抜けない。あと一歩体のつくりが男性的だったら、私は性同一性障害なのだろうか?というレベルで体つきが男性に近く、コンプレックスだ。

今時は骨格ナチュラルにはこれ!とインスタなんかで服が紹介されているのでいい時代だ。中学高校あたりで感じていた、流行りのギャルっぽい服がどうにも似合わず不格好で、まるでおじさんの女装みたいだと感じたあの違和感を言語化してくれる人がたくさん現れて、ではそんなあなたに似合うのはこれこれこういう服!とカテゴライズしてもらえるようになったのだ。

いい時代だね。

いい時代なんだけど、私はいわゆる女性的な、スナイデルお姉さん的な恰好に憧れが捨てきれない。

勿論あまり似合わない。
似合わないし、そういう恰好をした自分を好きになれない。
「女性的な恰好が自分には似合わない」とまざまざと見せつけられているようで悲しくなってしまうので、そもそも着ないという選択肢を覚えた。

その延長で、振袖も古典柄のいかにもな女性的デザインが自分の骨格や顔とあっていないと感じた。鏡で見ているときは良かったが、前撮りの写真を見て驚愕した。
なんだこのブス。
ブスがかっこつけたポーズ取らされてる。
気持ち悪い。気持ち悪い。こんなものに金出させるのか、私は…
みたいな感じだった。

高い金を出して前撮りしてくれた母には非常に申し訳ないことこの上ないが、本当にあの時のショックや嫌悪感が忘れられない。
まず、メイクが合っていなかった。写真用の濃いめのメイクがすごく嫌な感じだった。眉毛がすごい気に食わない。私は私自身のゴリゴリした骨格や、不細工な顔を少しでもマシにするために眉毛の色や描き方に結構こだわりがあった。が、写真に写る私の眉は黒々として細く、眉山がバブリーな感じで持ち上がって曲線を描いていた。
目元や鼻、口、頬骨などは言うに及ばない。化粧ではこの辺は変えられない。普通にブスだった。無念。
口紅は赤々としておばさんみたいだった。ただでさえおばさんかおじさんみたいな顔立ちが、よくよく際立っている。

何よりもショックだったのは、喉仏が男性もかくやとばかりに隆起していて、その影がくkkkkkkっきり映っていたことだった。
写真は加工でいろいろいじれますよと言われたので、私は
「喉の影を消してもらえませんか」
と話した。
ところが両隣に座っていた両親にはなかなか意図が伝わらず、お店の人にもなかなか伝わらなかったので、私は私の恥部についてどこが恥ずかしく、どのように消してほしいのかを詳細に父・母・お店の人の前で陳述しなければいけなかった。
涙が出そうだった。既に不細工な自分の顔面を大きなモニターに映されていることも不快で恥ずかしく嫌だったのに、その上この仕打ちとは。

なんやこれだよね。泣きそうだったよ普通に。
自分のコンプレックスがここまで写真にばっちり残って、それを両親や見知らぬ店員さんの前で何度も何度も説明しなくちゃいけなかったって、なんの罰?生まれてきたことが罪?
この世に生まれた事が消えない罪と言うなら生きることは背負いし罰だろう~(^^♪ ってか?ころすぞ。

そういった経験があったので、今回こそ衣装は他人の意見に振り回されずに自分の意志で、自分に似合い、自分が写真に写った時に恥ずかしくないものにしたいと思っていた。
幸い着物はちょこちょこ知識を付け始めているので、自分にはボタニカルな大柄や、ベージュ等が似合うのだとわかっていた。

そしていざ、お店へ。
「古典柄以外を見たい」とあらかじめ伝えていたこともあるが、お店が流行りのデザインのものを多く置いており、洋柄やレース着物も種類があった。
古典柄への嫌悪は根深いもので、ああこれは良い色だね、似合いそうだねと母に言われても全く心が揺さぶられなかった。古典柄が悪いのではない。私がゴリラでブスなのが悪いのだ。

あ、これはかわいいかもと思う着物は白地~ベージュだった。
その中で、一着くすみピンクの花柄の振袖が見つかった。
最初は全く似合う気がしなかったが、よく考えればこういう機会でもなければド派手な振袖や袴を着る機会はない。着物は普通の人より着る機会に恵まれているが、振袖はなんなら今後一生着ないかもしれない。
ということで、ものは試しで羽織ってみた。
そしたら、以外と鏡に映っている自分は悪くなかった。
袴もレースのものを合わせて見たが、意外にも悪くない。
あの前撮りのときの、叫びだしたくなるような羞恥心や屈辱は感じなかった。
今書いていて思うけど、着物は骨格が隠れるから、あまり男性的なのが気にならないんだろうな。

なんだ、自分にも以外とカワイイ女性的なものが似合うじゃないか。
着られるじゃないか。とか思ってしまった。
思い上がりだろうか。

ピンクなんて着るのは幼稚園以来だった。
幼稚園の時からどうも自分がブスなのは自覚していた。
22になり、顔は相変わらず大して可愛くないが、メイクは上達したし、髪のセットも上達した。
そういう状態で見る自分は意外にも惨めなブス年増ゴリラではなかった。

自分がピンクを着るのは許されないような感じがしていた。レース着物も、元から顔や骨格の華奢で整った可愛い女の子にしか許されないものだと思っていた。
意外と大丈夫かもしれない。今の自分なら大丈夫かも。

自己の認識が少しずつ和らいだのを感じている。
自分が好きなものを纏っても惨めではないかもしれないという気持ちが、過去の悲しかった気持ちをちょっとマシにしているような気がする。
自己肯定には甚だ遠いけど、少し自分を許してもいいかもしれない。


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