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No.4 夜明けのはざまより

年末から年始にかけて、やっと本が読めると思い、東京駅の構内で3冊の本を買いました。

①星を編む/凪良ゆうさん
②夜明けのはざま/町田そのこさん
③喫茶おじさん/原田ひ香さん

昨日まで読み終えたのが 「星を編む」と「夜明けのはざま」

凪良さんも町田さんも、本屋大賞でその作品に初めて触れて以来、ずっとファンです。

夜明けのはざまを読み終え、人の「死」をどう受け入れるか、どう立ち直るか、登場人物の葛藤を通して自分のこととして考えていました。

どちらの作品も、終わった後に胸の奥にズーンと残るものがあり、自分はいかに物事の言語化が苦手かを思い知らされました。

【深堀り】
幼い頃から、父、祖父、祖母、同僚、愛犬とたくさんの死と触れ合ってきた。

それぞれの死から数年、数十年経つけれど、いまだに夢に見ることもあるし、夢での出来事が現実とリンクし、朝起きたら大号泣しているなんてこともよくあった。

「夜明けのはざま」のセリフに、「その人のために椅子を残してあげる」というものがあった。亡くなった人が、いつかその椅子に座り、話をすることがある。その時に、その人を座らせてあげて欲しい、と。

私は、どちらかというといつも亡くなった人のことを思い出し、話題にして話すことがある。亡くなった人のエピソードや、笑い話なんかを臆さず話、忘れないように心掛けている。

年に数回、墓参りに行くことも大切だが、その人を思い出して、笑い、涙することも供養の一つなのではないかと考えているからだ。

そう考えると、自分が死んだ時、誰か自分のことを思い出してくれるのだろうか。自分のことをほとんど発することはないので、きっと忘れられているだろう。そういう人もいたな、くらいに。

自分にも、声を大にして言いたいことくらいあるだろう。ただ、それをまだ言葉にする力がなかった。

30半ばをすぎたおっさんがこんなことを晒すのは、恥ずかしい気持ちで意一杯だが、今の自分にできることを少しずつやっていこう。

いつか、誰かの椅子に座れる日がきたら、それはとっても幸福だ。



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