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吹替史講義④「声優と洋画劇場〜野沢那智から戸田恵子まで〜」


吹替は、声優は、映画史においてどのような役割を果たしてきたか、について考察するシリーズ第4弾。前回は、1950年代のテレビ創世記における「吹替と新劇」の関係について考察しましたが、今回は、「吹替と洋画劇場」と題して、1970年代からの「吹替」の歴史、野沢那智の功績や戸田恵子を紐解いていきます。


①洋画劇場ブーム
1950年代にテレビ放送が始まったのち、60年代には洋画劇場ブームが起こります。1966年の「日曜洋画劇場(NETテレビ→テレビ朝日)」を筆頭に、
「木曜洋画劇場(テレビ東京)」(1968年〜2009年)
「土曜映画劇場(NETテレビ→テレビ朝日)」(1968年〜77年)
「月曜ロードショー(TBS)」(1969〜87年)
「ゴールデン洋画劇場(フジテレビ)」(1971〜2003年)
「水曜ロードショー(日本テレビ)」(1972〜85年)
が次々に放送を開始します。

その後、誰も覚えていない『水曜プレミア(TBS)』(2004〜05年)などを経て、

2024年現在、ゴールデンの地上波映画枠は、ディズニー、ジブリ、コナン、ユニバーサル作品の広告塔かつ電波塔と化した「金曜ロードショー(日本テレビ)」(2012年〜)、基本バラエティ枠で気が向いた時だけ映画を放送する「土曜プレミアム(フジテレビ)」のみになってしまいました。

たいていの観たい映画をすぐ配信で観られる時代に、洋画劇場の意義は全国でいっぺんに同じ映画を観せられることにあります。

かつて、VHSが普及する80年代までは、映画を観るには主に、映画館に行くか、テレビの洋画劇場を観るか、心の中に思い描いた映像を念写するか、しかありませんでした。とくに映画館や2番館(名画座)のすくない地方では、洋画劇場の吹替放送以外に、見る術はほとんどなかったと言えます。

つまり、『ロッキー』も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も『ローマの休日』でさえ、たいていの人は洋画劇場の「吹替」ではじめて観たわけです。洋画劇場のおかげでテーブやVHSに焼いて何度も繰り返し観ることが出来たのです。

②日曜洋画劇場の功績
われらが『日曜洋画劇場』(1966〜2007年)の特色、それは吹替にあります。フジテレビや日本テレビがしばしば話題性重視のテレビ俳優やタレント(『激突!』の徳光和夫、『プラダを着た悪魔』の夏木マリなどなど…)をキャスティングするのに対し、『日曜洋画劇場』はプロの職業声優をキャスティングすることに徹しました。

また、映画によっては異なる声優がキャスティングされていたものを、スター俳優の声優を固定化することを最初に定着させた番組と言われています。そのことをFIX(専属声優)制度と言います。

以下は、その経緯です。wikiを引用。


それまでの吹き替えのキャスティングは「スケジュールの空いている人を集めて役を割り充てる」という方法が主流だったため「放送の度に同じ俳優でも声が違う」という状態がほとんどだった。しかし、NETテレビは番組を開始するにあたり「吹き替え声優の固定化」を打ち出し、人選のためディレクター11人によるプロジェクトチームを発足。当時、映画誌『スクリーン』で人気だったスター俳優・女優に以下の声優を決定した。その声優のギャラには条件付きで割増金が支払われたという。

引用終わり。

たとえば日曜洋画劇場で生まれたFIXはこんな感じで、
クリント・イーストウッド︰山田康雄
チャールトン・ヘストン︰納谷悟朗
オードリー・ヘップバーン:池田昌子
グレゴリー・ペック:城達也
マリリン・モンロー:向井真理子
ポール・ニューマン:川合伸旺
バート・ランカスター:久松保夫

そして現役の有名なFIXはこんな感じです。
アーノルド・シュワルツェネッガー︰玄田哲章
ジェイソン・ステイサム︰山路和弘
トム・クルーズ︰森川智之
ジョニー・デップ︰平田広明
トム・ハンクス︰江原正士
エディー・マーフィー︰山寺宏一


④野沢那智の圧倒的女性人気
さて、洋楽劇場時代には様々な声優が活躍しましたが、その中でも圧倒的人気を博したのが、アラン・ドロンの吹替で知られる野沢那智でした野沢は、視聴率40%ほどを記録した海外ドラマ「0011 ナポレオン・ソロ」(1964〜68年)などで、甘く高い声を武器に多くの女性ファンを獲得し、追っかけまで存在したという人気っぷりでした。当時は低音の声優が多かったこともあって、同業者から「女のような芝居だ」と揶揄されたそうですが、外国の俳優やキャラクターではなく声優自身がスターとなった最初期の例と言えるでしょう。


また、野沢はアラン・ドロン、アル・パチーノ、ブルース・ウィルスなどの声を担当したほかに、「劇団薔薇座」を設立し、戸田恵子、鈴置洋孝、高島雅羅、玄田哲章、銀河万丈、有本欽隆、中村秀利、難波圭一ら名だたる声優を育てたことで知られています。

今や女優として認知されている戸田恵子は、子役デビュー後、売れないアイドル演歌歌手時代を経て、19歳でる「劇団薔薇座」へ入団します。その後、声の仕事を始め、『ガンダム』のマチルダ役で一躍有名になりました。アニメでは『アンパンマン』(1987年〜)、3代目『ゲゲゲの鬼太郎』(1985〜88年)、初代『きかんしゃトーマス』(1990〜2007年)を担当、吹替では高島雅羅、勝生真沙子らに並んでジュリア・ロバーツやジョディ・フォスターほか様々な映画スターを担当します。声優として確固たる地位を築いた戸田は、三谷幸喜に見出され、映像の世界でも幅広い世代に知られるようになりました。ちなみに三谷幸喜はのちの山寺宏一や高木渉を映像の世界にフックアップし、自身の作品に起用するようになります。


⑤第1次声優ブーム
さて、洋画劇場と海外ドラマにおける声優人気を支えたのは野沢那智ですが、アニメにおける声優人気を支えたのは当時13歳の塩屋翼でした。塩屋はテレビアニメ『海のトリトン』(1971年)で思春期の少年トリトンを声変わり前のいわゆる「ショタ声」で演じ、熱狂的な女性ファンを生みました。漫画・アニメ評論家のササキバラ・ゴウによると、この現象は「キャラ萌え」が生まれた最初であり、「アニメの声優」が脚光を浴びた最初の事例であるとされています。

作家の鳴海丈がコラム「声優ブーム」の中で言及しているように、彼女たち塩屋のファンが、思春期の少年キャラと13歳の声優の素顔を重ねて観ていたことは否定できません。また、『超時空要塞マクロス』(1982〜83年)において当時19歳の声優・飯島真理に、彼女が演じたリン・メンリイという少女キャラクターの姿を見出そうとする動きがありましたが、声優とキャラクターを同一化する動きは、2000年代以降スフィアやウマ娘などのアイドル声優ユニットの誕生に結実していきます。その話はまたの機会に。


ただ、ここで興味深いのは、野沢那智と塩屋翼人気による第1次声優ブームは、外画や海外ドラマとアニメという媒体は違えど、いずれもその熱狂的な女性ファンたちによって生み出された現象であるという点です。



そして、1977年からは富山敬、神谷明、古谷徹、潘恵子、(野沢那智の弟子である)戸田恵子らに代表される第2次声優ブームが起こりますが、悲しいことにこれ以降の声優ブームはすべて「アニメ」人気によるものです。「アニメ」には女性の欲望や憧れを描く少女漫画のジャンルがあるのに対し、かつての「外国映画」には女性の監督はおろか、女性の脚本家やプロデューサーがほとんどおらず、男の物語ばかりを量産していたことが関係しているのかもしれません。


さて次回は、「宇宙戦艦ヤマト」に端を発する第2次声優ブームの変遷とそれらがどのように吹替に波及していったかを考えます。では、さよならさよならさよなら(©淀川長治)。

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