吾書くゆえに吾あり
気づくと書いていた。
階下からは家族の声が聞こえる。
寒い部屋でねんねこを着た私は、左に置いたペーパーナイフの刃先を見つめ、また書き始める。13歳の冬だった。
シャーペンで紙を刻むように書かれた日記は十冊を超えた。
書くことは息をするのと同じくらい、生理的なものだった、私には。
赤いワインの底に沈む澱のようにたまったもの。それを少しずつ、掬い、丁寧に伸ばし、刻むように書きつけた。誰に見せるでもなく、シャープペンシルのとがった先から、吐き出すように文字が現れ、紙に焼きついた。
そうして高校を卒業するころには十冊を超えていた。
今となっては、1ページも開くことができない。まるで標本の中の珍しい虫たちの、そのあまりにも薄く伸びた羽根のように、誰かが触ると壊れてしまうのではないか、と思わせるほど、純粋で、痛々しい。
もうそれを見る、ということは今の私にはできない。
大学に入り、たくさんの人の話を聞いた。それは気づくと120分テープが20本くらいになっていた。
卒業論文は、その一部を書き起こし、原稿用紙300ページくらいにして提出した。
学部始まって以来の厚みになった。厚みだけは褒めてもらえた。
新聞社に入ろうと思った。その時、はじめて作文を(厳密にはきちんとした作文を)書いた。
添削者からは大層、褒められた。その時、参照にしたのは映画だった。小津安二郎や市川準といった静かな中に隠れた感情の起伏を描く作品から多くを学んだ。
そして新聞社の内定を辞退した。
僕にとっての「書く」ことへの想いが、「職業」にはつながらない、ということを学んだ。とても深く。
それから本当の意味での私の逡巡が始まった。
書く、ということへの。
48歳になり、これまでのことを少しずつ、このnoteに書き留めていこうと思う。
私の中で溜まった澱が、再び、形になろうとしている。
それはどのような輪郭を持つのか、それが楽しみで仕方ない。
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