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負の連鎖は断ち切れるか

断ち切れるとも断ち切れないとも断言できない。
私自身は断ち切れると思っていた。でも上の娘の結婚生活が破綻したことにより、断ち切れるとは言い切れなくなってきた。

絵に描いたような幸せを体現できる人もいるだろうし、それが地獄絵図になってしまう人もいる。確率の問題と言ってしまえばそれまでだが、私に振られたサイコロは八百長で使われるような細工がしてあったのかと疑いたくなる。

全部を運命にしてしまうのも癪だ。
こんな家に生まれてきたのが悪かった。そういうと私の全てを否定しなければならなくなる。

夫が亡くなって実家に戻ってから、何度か家を出ようと思ったことがある。その度に父は増築してくれて、母は家の権利を私に譲った。
これは介護要員として私をこの家に縛りつけておきたいがための両親の画策に過ぎないのだが、まだ当時は学生の子供もいたので、家をでるのを思い止まった。

次女が生まれた時に精神疾患を発病したのだが、その時に母は産まれたばかりの次女を夫の実家にやるなら、お前だけ面倒をみてやると悪魔の囁きをした。でも、私は拒絶して夫と共に誰の手も借りずに子供を育てる道を選んだ。
必死に三人を育てて、さあこれから少しずつ楽になると思っていた矢先、夫がガンになり還らぬ人に。
そして幸せな結婚をしたと思った長女が今離婚に向けて歩んでいる。

私は一体どうすればよかったのかな。
どう生きたらよかったのかな。

答えはわからない。

ただ一つ言えるのは、こうしかできなかった、歩んできたようにしか生きられなかった、ということ。

これを信じれば良くなります、祈れば良くなります、何度もそんな勧誘を受けた。
実際、教会にも通ったことがある。でも今は神様は信じるけど、八百万の神様もいるだろうし、仏教の教えもためになると思っている。
クリスマスにはケーキを食べて、初詣には神社に行って、お葬式にはお坊さんを呼ぶ平均的日本人だ。

太陽の当たる部屋に座り一人思う。

このゆったりと流れる時間を味わうと全てがどうでもよくなり、どうにでもなれと開き直ってしまう。

それがいいことか悪いことかわからない。

ただジタバタしたところで状況は変わらないならば、今、差し迫った問題がなければ、それでよし。

並べて世はことも無し。

諸行無常 栄枯盛衰

自身のDNAに刻まれたものの存在を強く感じる。


これでいい。


連綿と受け継がれていく血の流れには逆らえない。
私は私の人生をたゆたゆと生きるのみ。

子供たちは子供たちで生きていく。

幸せであれ、と祈りながら。

それしかできない。