ふと気づくこと
長女が孫を連れて遊びにきた。用意で朝から気ぜわしかった。
このところ体調の変化により朝が弱くなってきていて、それに伴い気分のソワソワも起きるようになって、今更ながら、病気の波乗りはきついなあ、なんでこんな日に、と恨めしく思う気持ちもある。
孫は元気に跳ね回り、手作りのスパゲティもよく食べた。孫は健康で長女も変わりなく、何も心配事はないのに、何だろう、ソワソワとした感じ、漠然とした不安感が消えず、さっき、長女たちは自宅に帰ったが、ホッとしてる自分もいる。
イレギュラーなことに対する、自分の許容量のなさは年々重く感じてきていることで、変化のない日々を過ごしていると、そうなるんだなあと実感している。
もう、責任世代ではないのだから、もう少し気楽になれないものかと思うが、こればかりは、性分と疾病と季節がらで仕方ないことだ。
この文章を打ちこみながら、聖書の
あなたがたのなかで、心配したからと言って命が延びる人がいましょうか
正確な文章ではないが、そういう個所があったことを思い出し、心配したところで何も変わらないと落ち着くことができた。
何故か不安になると、心配すればそのことが起きないような、錯覚を起こしがちだけど、事実はそんなことはなく、淡々と、起きることが起きて、起きないことは起きないのだと、思いなおすことができた。
なんでもいいのだけど、自分で これ と思い、信じてみようと思った本なり文章なりは、身になって、助けてくれるものなのだなあと改めて実感する。
原因のない漠然とした不安に、薬も確かに効くが、何よりも今までの経験値や出会った文章、言葉なども助けてくれるものである。
今日の良い思い出だけ胸にして、元気なLINEを娘に送ろう。
来てくれてありがとう。また、顔を見せてね。