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映画が導く言語学 4           「お名前はアドルフ」(Der Vorname)

人は名前によって運命をどれくらい左右されるのだろうか。「お名前はアドルフ」(Der Vorname)というドイツ映画が2018年に公開された。公式ホームページによると、「90分間リアルタイムでハラハラドキドキ!素敵なデイナーで繰り広げる、名付けを巡る家族のバトル」の映画である。国語教師のエリザベトと大学教授の夫シュテファンは弟のトーマスとその恋人アンナと夫婦の幼馴染の友人レネをデイナーに招く。遅れて参加するアンナは妊娠中でありトーマスは生まれてくる赤ちゃんは男だと言う。名前はどうするという話になると、トーマスは “アドルフ”に決めたと言う。これを聞いてみな凍り付く。

“アドルフ”とは、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を引き起こした張本人とみなされるナチス・ドイツの独裁者“アドルフ・ヒトラー”と同じ名前である。「アドルフだと?気は確かか?」「本当によく考えたのか」と戦後タブーとなっている名前の命名に反対する。しかしトーマスは「考えた結果さ」「息子をアドルフと名づけてヒトラー神話を破壊する」「息子の名前は世界への非暴力宣言だ」「これは革命の始まりだ」と譲らない。彼らの会話はどんどんエスカレートしドイツと世界史の話を巻き込む知的論争から感情論争、そしてついにお互いの人格非難へと発展する。

私はこの映画を見ながら「悪魔ちゃん」という名前をめぐる騒動を思い出した。1993年に男の赤ちゃんが東京で誕生したが、両親が「悪魔」という名前を市役所に届けたのである。担当者は法務局に判断を仰ぎ、この名前は受理されなかった。しかしそこで話は終わらない。両親が家庭裁判所に不服申し立てをしたため、この命名騒動は連日マスコミを賑わすことになった。

現在の若い世代には、華やかな名前や音読が難しい漢字名を持つ人がいる。女性なら、例えば、万里杏(マリア)、麗(ウララ)など。これは1980年代から1990年代に海外でも通用しそうな命名が流行したためらしい。「キラキラネーム」はその極端なケースなのだろう。このようなトレンドに対して「名前が意味をなしていない」「漢字を大切にしなくなった」「今の親の漢字力の低下を物語っている」と眉をひそめる人がいる。しかし珍名・奇名は今に始まったことではない。本居宣長(1730-1801)は江戸時代の人だが『玉勝間』(玉賀都萬)の「今の世人の名の事」の中で「近きころの名には、ことにあやしき字、あやしき訓有りて、いかにともよみがたきぞ多く見ゆる」と嘆いているという(大月実 2019「カテゴリー論と命名」大月実・進藤三佳・有光奈美(編)『認知意味論』くろしお出版, p. 47)。

名前は自分では選べない。名前とは「親からの最初の贈り物であり一生身につける大切なもの」のはずだが、名前を「ファッション」「記号」「識別番号」と見る人もいる。すべての人が自分の名前を気に入っているわけではなく日本では毎年四千人以上の人が改名している。理由は様々だが、中には自分の名前を「親からの呪い」と感じる人もいるようだ(「NHK「クローズアップ現代」“改名” 100人〜私が名前を変えたワケ、2019年9月4日より)。

伝統的なアイヌの文化では子供が生まれてもしばらくは名前を付けず、「悪いカムイを遠ざけるため」に仮の汚い言葉(例えば「糞」を表す言葉)で呼び、5、6歳を過ぎた後でその子にちなむ能力や出来事、親の希望を考慮して名前を付けていたと言う(中川裕(2021)「『ゴールデンカムイ』から学ぶ、アイヌ文化の基礎知識」Penn 4月15日号、No.516, p.30より)。このやり方なら子供の個性や経験をゆっくり観察することができ、さらに子供の好みや希望を聞くことができる。

結婚後に自分をどう名乗るかも大きな問題である。「お名前はアドルフ」に登場するエリザベトのフルネームはエリザベト・ベルガー=ベッチャーである。これは夫の姓ベルガーと結婚前の姓ベッチャーを組み合わせた二重姓である。このような二重姓はアメリカでも一般的である。アメリカは移民の国なので結婚後も自分の姓を残して自分のルーツやアイデンティティを守ろうとする人が多い。元大統領候補のヒラリー・クリントン氏の正式名はHillary Rodham Clintonだが、Rodham Clintonは自分の結婚前の姓Rodhamと夫の姓Clintonを並べた複合姓である。アメリカでは、夫婦別姓が許されるのはもちろんのこと、誰でもいつでも姓を変えることも自由である。日本では、男女が結婚すると、どちらかの姓を自由に選択できるが、国際結婚の場合を除き夫婦別姓が認められていない(2022年9月現在)。

人間は人だけでなく都市にも、村にも、通りにも、お菓子にも、会社にも、髪型にも名前をつける。近所のノラ猫も家に招き入れると「ミーコ」とか「ケンタ」になる。そして実体は名前を与えられることで、人間世界の一部になる(森雄一 2019「命名論と認知言語学」『認知言語学大事典, p. 609より)。命名とはどこまでも人間の人間による人間のための営みなのである。

<まとめ>
・「お名前はアドルフ」(Der Vorname)という2018年公開のドイツ映画は、子供の命名がテーマとなっているコメデイーである。
・名前は親からの最初の贈り物だが、日本では毎年四千人以上の人が改名している。
・世界には、改名だけでなく、夫婦別姓も、姓を変えることも自由な国がある。
・すべての実体は名前を与えられることで、人間世界の一部になる。



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