本屋にいるときは
本屋という場所がとても好きだ。
静かで、落ち着いているからなどという理由ではない。
そこは文字列と装丁デザインのミュージアム。もしくは選び放題のお見合い。頭の中が途端にやかましくなり、ドキドキとワクワクが止まらなくなる。
大きく息を吸う。本屋に入る。新しい本の匂いがする。入ってすぐの新刊に目を向けると、途端に言葉が脳内に流れ込んでくる。
「人生が変わる哲学。」
「自分を仕組みで動かす」
「アメリカの高校生が読んでいる…」
それまでずっと自分の目線だけで街角を眺め歩いていた時間から、本屋に入るや否や、さまざまな角度から意見が飛んでくるのである。
そうして本のタイトルを見て、中身を想像する。勝手に自分の重ね合わせて妄想する。あらすじと目次を読む。おもしろそうだなとワクワクする。
例えば、「馬鹿は相手にするな」というタイトルがあるとする。(絶対あるはずである。)
こう言うふうに断言しているタイトルは、「本当にそうなのだろうか?」「じゃああの人は相手にしてはいけないのか」「いや、もう少し優しくしたって良いかもしれないな」などと考えながらパラパラと本をめくりだす。そしてふーんと通り過ぎる。
あるいは魅力的すぎるタイトルに心を奪われて内容をあまり見ずに購入してしまうことがある。そういうときは大概、本を買ってみた後にその本に乗せた期待値や意外性に振り回されて、読んだ後に「今の自分に必要だったなあ」となんとなく理由付けする。
本を買う余裕がないときは、心奪われたタイトルとあらすじと目次と、パラパラめくったときに飛び込んできた魅力的なフレーズを、数ヶ月も思い出してしまうようなら買うと決める。
あれ、何かと似すぎている。 あれだ、恋愛…
そうして本屋では、言葉と装丁デザインがキャラクターのように3Dになって目の前に次々と現れる。スルーしたり、挨拶したりと。
だから本屋では落ち着いていられないし、もはや思考は加速する。
それはまるで本を読むという行為からはかけ離れているが、本屋という場所は私の脳内会議を賑やかにさせてくれるアトラクションのような空間なのである。
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