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寝ながらシュタイナー『自由の哲学』(3/9)

Ⅱ 『自由の哲学』の「自由」とは何か その1

既述したように、『自由の哲学』は、読者自身の思考のトレーニングがあってはじめて理解できるように構成されています。
今回、それなしで理解できると思われる範囲で、『自由の哲学』の「自由」を以下の4点にまとめてみました。
 1 いわゆる「選択の自由」とは異なる
 2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である
  (人類進化は、「理念的直観の実現」の方向に向かう)
 3 それ故、進化途上の現在の人間にも自由(理念的直観の実現)はある
 4 理念的直観は倫理性に浸されており、自由と倫理は一つである

本稿では、1と2について考察します。

1 いわゆる「選択の自由」とは異なる
前稿でも少し触れましたが、『自由の哲学』の「自由」は、いわゆる「選択の自由」とは異なります。
シュタイナーは、次のように言います。

仕事後の娯楽を遊びにするか雑談にするかなど、リラックスのための手段が何でもよいときには、「何が一番楽しめるだろう」と自分に問う(1:230)。

『自由の哲学』森章吾訳 イザラ書房

このようなときには、選択肢の中から、何がより楽しめるか、何がより有益かを自らに問うのでよいのです。「選択の自由」を活かし、自由気ままに選べばよいのです。
『自由の哲学』の「自由」は、そのような自由とは異なります。

2 自由とは、人類進化の先の「本来の意味での人間であること」である
⑴ 自由とは、「本来の意味での人間であること」
自由は、人類(人間)進化の先の「本来の意味での人間であること」です。それは、「人間の究極の進化段階」と言えるものです。
人間は「本来の意味での人間」に向けて進化(成長・変容)します。そのことで、人間は自由に到達する(自由を獲得する)のです。

自由においてのみ、私たちは本来の意味での人間なのである(1:166‐167)
自由な精神を人間の究極の進化段階とみなす(1:169)
人間行為の完成形は自由である(1:201)
人間本性が最も純粋に現れる自由な精神にまで達しなければ、人間概念を究極まで考え切ることはできない(1:166)

『自由の哲学』森章吾訳 イザラ書房

⑵ 誰もが自由へ到達する(自由を獲得する)可能性をもつ
誰もが、自由へ到達する(自由を獲得する)可能性をもっています。

あるより深い構成要素(本性)が誰の内にも宿っていて、そこにおいて自由な人間が語り出る(1:166)

『自由の哲学』森章吾訳 イザラ書房

自由な人間は、人間のより深い構成要素(本性)において語り出ます。
自由な人間も、そうでない人間と同様に、慣習のしがらみや法的強制などの強制的秩序の中に生きていますが、彼はそこから自らを引き上げるのです。(この部分について、一叶知秋氏の奥深い解釈がごく最近UPされた。筆者自身も刺激・感銘を受け、より深い考察を促されているところである。)

⑶ 人類(人間)進化は、「理念的直観の実現」の方向へ向かう

人間が単に自然存在であったなら、…現時点では不活性でありながらその実現が求められる理念(「自由」という理想)を探求することなど無意味である(1:167)

『自由の哲学』森章吾訳 イザラ書房

人間は自然に任せた存在ではなく、進化し続ける存在です。そして、その進化の方向は、人間の意志が「理念的直観の実現」に達する方向だとシュタイナーは指摘します。

純粋な理念的直観に支えられた可能性としての意志に達することを目標とした進化の流れがあり、その進化の流れの中に人間の意志が観察される(1:204)

『自由の哲学』森章吾訳 イザラ書房

「理念的直観」自体の考察については稿を改めますが、ここでは、人類進化が、「理念的直観の実現」(=「自由」)の方向へ向かうという点を指摘しておきます。

付記 「理念的直観」について
「理念的直観」という用語について付記しておきます。
「直観」とは「意識」の場に理念(思考内容)が現れる際の「形式」です。「理念的直観」とは「意識に現れた理念(思考内容)」のことです。
「理念的直観」は、①「概念的直観」、②「精神(霊)的直観」、③「倫理(道徳)的直観」、④「直観的思考」などと同義です。
その理由を以下に見ていきます。
①「理念」は、より包括的な「概念」です。自由な行為の「動機」となる思考・表象的要因の最高段階「概念的直観」は、理念的直観のことです。
②理念界と精神(霊)界は近接、または重なって存在しています。人間が捉えた「精神(的なもの)」が「理念」です。精神的直観は理念的直観です。(「理念」は、人間の側からみると「思考(の)内容」です。ただし、「理念」自体を人間(脳)がつくり出しているわけではありません。)
③「理念的直観」は、倫理(道徳)性に浸されています。その性格(性質)を前面に出した言葉が「倫理(道徳)的直観」です。
④「直観的思考」には、思考の内容を指す場合と、思考の働きを指す場合があります。思考の内容を指す場合は「理念的直観」と同義です。(「思考内容的直観」の方が言葉としては整合性があるかも知れません。
思考の働きを指す場合については次稿で見ていきます。

以上のような言葉の変容を、混乱としてではなく、生き生きとした概念の芸術として楽しめるようになることが『自由の哲学』を読む際にはふさわしい態度なのでしょう。そのためにも思考のトレーニングが必要となるのだと思います。
今回は、『自由の哲学』の中心テーマを扱った第9章以降で多用されている「理念的直観」という言葉を主として使用し、その都度補足していきます。

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