二回目

地方創生大臣は閑職だった
 そんないろいろからアベノミクス政策では、残念ながら地方の活性化を進めようとの意欲が感じられませんでした。しかし第二次安倍政権が始まった当初は、石破さんが初代の地方創生大臣になられ、当時地方創生会議座長の増田寛也さんの対談で、
「近い将来我が国地方地域の半分が消滅してしまう。この状況をそのままにしていたら、国の発展など考えられない」
と熱く語っておられたのは。
 しかしそんな話も安倍さんの進める政策下では、どうでもイィ問題だったとしか思えませんでした。ですから地方地域の活性化計画など注目されることなく、石破さんの存在もかすんでしまった。
 
 あれほど日本の地方の発展に熱く語っておられた石破さんが、地方創生大臣の職を一年余りで放り投げてしまうことになった。ここからは私の想像ですが、安倍さんにとって石破さんは煙たい存在でしかなかったから、安倍さん“重要なポスト”として石破さんに《地方創生大臣》の職を斡旋した。
 そうなんです、安倍さんから石破さんへ提供されたこの職は、安倍さんが石破さんを自分から遠ざけるための策略でしかなかったんです。その誘いに乗ってしまった石破さん、そんな閑職に長く晒されることに耐えられずに、早々に辞したとしか思えません。
 だってその後この職に就いた人たち見てますと、地方創生大臣って職の軽さが感じられ人ばかり。だってその間この大臣がマスコミに登場しましたのは、何代か目の方が
相当ほら吹いた
なんて失言?が取り上げられていた人ぐらいでした。
 アベノミクスの都会優先・地方無視の政策下では、自分の立場が亜流でしかなかったこと。与えられた職が明らかに閑職であったことに気が付いた石破さん、さぞかし残念な気持ちでその職を辞したことが判ります。
 
 安倍政権とは「桜を観る会政治」と私は判断しておりますので、その会に出られない地方に付いても中小企業の改善問題も、優先順序はずっと後ろであったことは明白でした。安倍さん亡き後も安倍政治は続けられておりますからの裏金問題であって、その会に出られなかった地方の人たちも、ただ裏金集めパーティに出席を強いられただけだった?
 後述しますが我が国の地方地域の半分がなくなったら、それはそれで大変なことが判ります。例えば消滅地域が多数発生した状況下では、ある日ある時ある地域が、住人のほとんどが第三国人になってしまってるなんてこともあり得ます。
 
 アベノミクスで外国人相手に観光業で稼ごうと考えられたとしても、観光業のベースとなる資質・資源とは東京や京都、北海道や富士山などに限定されますから、広い地方経済に寄与することなど最初から考えられなかったと思えます。
 安倍さんの観光立国政策によって増加するインバウンドが集中するのは、特別な地域だけ。そんな国内の観光業政策下では、全国の地方を元気にする目的であった地方創生政策担当の大臣・石破茂さんの出る幕はなかった。かくしてその職は石破さんにとって、安倍さんに掴まされた“ババ”であったこと気付かされたという一幕でした。
 
 

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