見出し画像

諸君、狂いたまえ

有名な吉田松陰の言葉です。
吉田松陰については歴史の教科書で名前聞いたくらいで、深く調べた事はありませんがNHKの大河ドラマ『花燃ゆ』で伊勢谷友介が演じていた吉田松陰の姿が強く印象に残っています。
優しいんだけど、芯があり、強い信念の元に行動する。
世間一般で言われる『常識』などは関係が無く、ただ自分の信じるものに向かって進み続けるという印象です。

歴史を解釈の違いから『天才』『明治維新の立役者』と称賛される一方で『テロリスト』『山形有朋のでっち上げた虚像』などと言われていることもあるようですが、どちらにしても多くの人間に影響をもたらし導いていった人物であることは違いありません。

『花燃ゆ』の前半は伊勢谷友介の演技に引き込まれたなぁ。

周囲の評価に惑わされない

私もそうですが、人からの評価によって自分の行動が変わってしまうことがあります。
ブレるくらいならまだしも、辞めてしまったり、逆方向に走ったりすることもあります。
人生は積み上げだと話には聞きますが、自分の心から信じるものがなければ経験や思考は積み上げていくことができません。最悪の場合は積み上げたことが崩れ落ちることすらあるように感じます。
本当に自分の心の底から信じたものや実現したものがあれば、周りからの評価は気にならず比較することなく自分の思い描いた計画に対する進捗を日々確認するだけでよく淡々とこなしていくことができるのだとも思います。
よく言われることですが、『”思えば叶う”という言葉があるにも関わらずプロ野球選手になりたいと思っても実現できていない人が多い。これはどこかのタイミングで諦めたからだ。』
刹那的に思うのと、思い続けるのとでは思いの強さや深さに大きな違いがあると思います。
刹那的に思ったものは、どうしても日常の中で行う様々な判断にその価値観が反映されておらず”普段の自分”に気付けば戻ってしまっています。

ブレてもいいんだけど、ブレるが分かっているのは事前に防ぎたい。

誰の為に叶えるのか?

自分の夢や志なんだから、自分の為に叶えるんでしょ?っとなりそうなものですが吉田松陰を含め歴史に名を残してきた偉人たちはそうではないみたいです。
いや、名を残すような偉人だけではなく我々の先祖の皆さんはそのように生きてこられて様です。
明治維新の動乱の志士達は日本の将来を考え、世界大戦の特攻隊の皆さんは戦後の国を思い、その夢や志を元に行動し散っていった人たちもいます。
その行動の原点には自分以外の誰かのことを本気で考え抜いた強い思いが感じられます。
先日お亡くなりになられた稲盛和夫さんの著書の中にも常に『動機善なりや、私心なかりしか』と問われており、お金を儲ける集団だと思われていた企業においても国やサービスを消費するお客様の為に活動していくことが持続可能な企業となる礎であることを説かれています。

我欲だけで事業を行っていないか?

狂うためには着地点が必要

こうして考えると、自分の信じた道を突き進む為に時には世間の常識や他人からの評価や前評判を無視して『狂う』には、”自分がどこに到着したいのか”とう着地点が明確になっていないと狂いたくても狂えないのかも知れません。
何か自分の中で腑に落ちていなかったり、何に狂えばいいのか分からなかったりするのかもしれません。
逆に、心の奥底から願う本気の着地点が見つかると自分では狂っていなくても周りから見ると狂ったように見えるのかもしれません。

自分の時間を大切にしながら、趣味もして・・・と社会人になったばかりは自分のことだけを考えて夢や理想を語っていましたが、そんなことを遥かにに凌駕する自分の人生を使うに値する志の芽生えを自分でも感じ始めています。
そこに自分は精一杯やれるだけの事をやろう、途中で変に諦めたりしない限りは可能性が目の前に常にあり続ける。
それを掴み取れるかどうかは、計画と実行を愚直に繰り返す原理原則を守り続けた人間だけだ。
そういったことを教わったのは、ここ数年でお会いした先輩経営者が語っておられる言葉や日常の人としての在り方を見せて頂いているから。
そして全国にいる、同じく社会や地域の為に人生を使おうとしている仲間の存在があるから。
人は誰と時間を過ごすかによって人生が大きく変わる。
共に狂い、共に創り、共に紡いでいきたいと思います。

体操競技は美しい着地がすべて!
下り技が決まっていなければ演技構成は作れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?