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先輩の器とは

私が代表をしていた団体を応援できなくなった。

引退してもパソコンに残っていた団体の情報共有アプリを、ある日なんとなく開いてしまった。本当に何気なくだ。季節は夏の終わり。大学といえば秋の学祭に向けていよいよ具体的な準備を始める頃だ。ちょうどその内容が共有されており、見ると今年の学祭は私が去年提案した内容に決定されていた。もちろんそこで初めて知ったのだから、私には事前になにも言われず。

私が提案したものの自分が活動しているうちに実現できなかった原因は、コロナによる大学の制限だ。しかも、そのコンテンツは私が高校生の時に知り、講習会にまで行き、大事に大事にあたためていたもの。気軽に口にした私が悪かったのだろうか。それに私が提案した内容が今年は制限の解除で実現できそうなら、「先輩が提案していた企画を今年こそ実現できそうです!応援してくれたら嬉しいです!」などと言ってくれないものか。言ってくれるのを期待していた。その言葉と少しの配慮さえあれば、私はほんのちょっと悔しいけれど素直に応援できただろう。

ずっと大事にしていた企画、きっといつか私が実現できたとしても、後輩たちは「あー!それ私たちが昔やったやつですねー!」などと言ってくるのだろう。私が提案したのは少人数の幹部しかいない時だったから、事情を知らないメンバーがたくさんいることだろう。知らない後輩たちを責める気にはなれないが、いとも簡単に私の企画を横取りした後輩が率いる団体を私は応援できないし、もう全てがどうでもよくなった。

大学で少なくない時間を費やして大切にしてきた団体への関心がこんな形で消えてしまったのはすごく残念。それとも私の心が狭すぎる?少なくとも私は唯一やってほしくなかったとも言えるようなことをされて、悲しい。

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