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「あきらめきれない男たち」

2月17日放送「SAYONARAシティボーイズ(19:00~20:30、文化放送)」を聴いた。

私のラジオ遍歴については、以下の記事を参照されたい。

大竹まこと、きたろう、斉木しげる。小劇団の売れない俳優3人によって結成されたシティボーイズ。結成30年以上、古希を過ぎた3人が「正真正銘最後のラジオ」と題し、シティボーイズの「これまで」、そして「これから」について脱線気味に、気ままにトークしていく。

私自身、シティボーイズの全盛期を見ている世代ではない。ただ、私が幼い頃、父親が当時まだ目新しかった衛星放送でシティボーイズの単独ライブをよく観ており、一緒になって観ているうちに何となく「面白そうなオジサンたちだな」と思うようになった。

それが、私にとってのシティボーイズ原体験である。

わかりやすいフリオチも、ボケ・ツッコミもない。ストーリーすらも時として無視し、観客を容赦なく置き去りにする、シュールというには難解すぎる3人のコントは当時の私には刺激的で、油断ならないものだった。

わかりやすさ、とっつきやすさという点では「吉本新喜劇」のほうが断然上だったけれど、父親の横に並んでシティボーイズのコントを見ているという空間それ自体が、少しだけ大人になったような、見てはいけない世界をこっそり見せてもらっているような感覚を与えてくれるのだった。

成長して、拙いながらも脚本らしきものを書くようになると、何とかしてシティボーイズのような洒脱なコントが書けないかと、頭をひねるようになった。

まあ、知性と教養の土台すらもない私に、そのような芸当ができるはずもなかったのだけれど。

2016年の単独ライブを最後に、3人では舞台に立っていないシティボーイズ。「時代と寝る」ことをモットーに、時代の空気感を最前線で切り取りつづけてきた彼らは、もうすでに、時代と並走することを諦めているように思える。

単独ライブの中止がそのメッセージだとしたら、あまりにも寂しい。

しかし、彼らはまだ諦めていない(あきらめきれない)ようにも思うのだ。

だからこそ、文化放送という世界の片隅でひっそりとラジオコントを演じ、老境を自虐気味に語るという体裁で世間に毒づいているのではあるまいか。

いつの日か、3人がまた活き活きと舞台に立つ日を期待したい。

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