「かぎりなくグレーに近いグレーゾーン」
以前のnoteで発達障害およびその当事者が置かれている現状について私なりに言及した。
その流れの中で、私自身の「発達障害かもしれないエピソード」をいくつか綴った。前回は断片的なエピソードとなったが、幼少期にまでさかのぼればより決定的で、核心をついた出来事が想い出として浮かんでくる。
地元の幼稚園に通っていた頃の話。当時の私は障害による制約のため行動範囲が狭く、また、今以上に人見知りで臆病だったため、幼稚園でも周りの子が元気に遊んでいる様子を隅のほうで眺めている(観察?)ことが多かった。
その日、砂場では太郎君と花子ちゃんが仲良く遊んでいた。
もちろん、どちらも仮名である。
2人は協力して砂のお城を作ったりと、しばらく仲良く遊んでいたのだが、突然、太郎君のほうが花子ちゃんの使っていたシャベルを奪い取ったのだ。
当然花子ちゃんは怒り、泣き叫び、太郎君に力いっぱいに抗議する。
それでも太郎君は、シャベルの色がよっぽど気に入ったのか、花子ちゃんに謝ろうとしない。
見かねた先生たちが駆け寄る中、花子ちゃんは言い放ったのだ。
「もう……太郎君とは二度と遊ばない!」
そりゃそうだろうなと、一部始終を見ていた私は思った。お気に入りのシャベルを何のことわりもなく理不尽に奪われたのだから、黙っていられるはずがない。そして、こう思った。
あの2人はもう二度と遊ばないのだろうな、と。
しかし、翌日。お昼の弁当を食べていつものように休憩していると、信じられない光景が展開されたのである。
砂場で遊んでいたのだ……太郎君と花子ちゃんが。
前日のケンカなど忘れ去ったかのように、あるいは、そんな出来事など最初から存在しなかったかのように、2人は仲良く砂場で遊んでいたのである。
朝からそれとなく観察していたが、太郎君が「シャベル強奪事件」について謝った様子はない。
にもかかわらず花子ちゃんは、太郎君へのわだかまりを感じさせることなく、ただニコニコと「お城のプリンセスごっこ」に興じている。
私はいよいよ混乱した。つい昨日、太郎君は花子ちゃんのシャベルを奪い取るという事件を起こしたではないか。
そして、そんな太郎君に花子ちゃんは本気で怒り、はっきりと言い放ったではないか。
「もう二度と遊ばない」と……。
私は状況を理解するため、担任に何度も2人が今も仲良く遊んでいる理由を問いただした。当事者である太郎君、花子ちゃんに直接聞くわけにはいかないから(そこまで仲良くはなかったから)、せめて(物事の道理のわかった)大人に答えを聞くことで、混乱を落ち着かせようとしたのである。
しかし何度たずねても、担任の口から納得できる答えが聞かれることはなかった。
私にとって「もう二度と……」は文字通り、永遠である。「もう二度と遊ばない」と言い切ったからには、少なくとも花子ちゃんのほうからは太郎君との関わりを絶たなければおかしい。
なぜなら、それが「もう二度と」ということだからである。
当時5歳の私は、大真面目に考えていたのだ。
母親に一連の出来事を話して聞かせると、半ば呆れたように笑いながらも私の名前を呼んで、「○○らしい考え方ね」と言った。
一方の父親は私の話を茶化すことなく最後まで聞き、「それは不思議な事件だよな」と、ディテールに至るまで時間をかけて掘り下げてくれた。
あれから30年の歳月が過ぎた。私も大人になり経験を重ね、さすがに「あの頃」よりは柔軟性、寛容さが増していると思う。
しかしながら、太郎君と花子ちゃんの「理由なき仲直り」に混乱した本質的な頑固さは、未だに私の根の部分として残っているように思えてならないのだ。
幼稚園時代のエピソードが発達障害の特性にあてはまるかどうかはわからない。ただ、「私らしさ」というキーワードで過去の出来事を振り返る時、太郎君と花子ちゃんが今でも心の奥底をざわつかせるのだ。
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