人と比べないって難しい。こどもおばさんのひとりごと
心理学のサークルに属している。
グループラインで、日々の気づきやなんかをシェアしている。
みんな、色んな事、考えていて、ちゃんと行動していて。
仕事も、家庭も充実していそう。
(でも、みんなどこかに悩みがあるから、こういう事を学びに来るのだよね。心の中は誰にもわからない。)
自分の劣等感や自己否定がどこからくるのかなぁ、とこの頃よく考える。
パワハラに合うまでは、わりと自信満々なほうだった。
でも、今考えたら。それは表面的なことで、心の奥底ではそういうものはたくさん持っていた気がしている。
このサークルに参加してみて、その原因が何かわかってきた。
みんな、いいひと。勤勉、礼儀正しい、人の悪口も言わない、人の事認め合う。すごく、居心地が良い。(でも、気づいたらちょっと疲れてた)
私は、子供のころから、人の良いところを見ようと思ってきた。
でも、ここでのコミュニケーションは。みんな、いいひとで、いいところがいっぱいだから。
そこをいっぱい見て、すこし疲れていた。そして気づいた。
人はすごい→私はすごくない
他人の充足→自分の不足
おそらく、それが私の劣等感の正体だ。
だから、人から褒められてもうれしくない。
自分は、人の事、認めてるのに。
なんでかな?って自分でも思ってたから、すっきりした。
(私世代の女子長子は「お姉ちゃんでしょ?」とか「隣の家の〇〇ちゃんをみてみなさい」などという母親からの口撃により、こんな風に常に他人の様子を窺うようになっているのではないのかしら。成長の段階で他人に認められることにより、問題なく大人になれている人もたくさんいるのだから一概にはいえないとは思うが。
お姉ちゃんというのは、母親からの呪いをどの段階でとくかが、自己実現できるかできないかの分かれ目なような気がする。)
50も過ぎて、すべてを親のせいにするつもりは、毛頭ない。
十分、良い親だったから。でも、やっぱり、そういうセリフはめちゃくちゃ聞いた。でも、そんな事、年老いた親に言うたら、余計自己肯定感、下がるわ~。
戦前までの平均寿命は50ちょいだったらしい。
じゃ、もう私、死んでてもおかしくないね。
もう一回生まれたと思って、自分で大切に自分を育てていこうと思う。
あなた、かわいいよ。できるよ。できたってできなくったてあなたがいてくれて幸せだよ。一緒に居ると楽しいよ。ってね。
人と比べないことは難しいけれど、最初のベクトルを、まず自分に向けてみよう。仕事をしていない今なら、比較的簡単にできるかもしれないな、と最近思い始めた。
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