【小説】映るすべてのもの #7
──今日なにがあったんだろう。
勉強机にひじをかけ両手にあごをのせたまま瑠衣は一日をふりかえった。
里穂の告白にこたえた言葉は嘘じゃない。里穂にはなぐさめの軽口にきこえたかもしれないが、今朝、瑠衣もじぶんの顔がいつもとちがって見えたことに違和感をもったのはほんとうのことだ。教室全体のしっとりと浮きだつような気配もひょっとしたらそれが原因のひとつだったのか、そんな考えが頭をかすめる。
じぶんの顔がかわいく見える病気?ウイルス?伝染病?けれど感情がウイルスのように伝染するという話はどこかでよんだおぼえがあった。なんなんだろう。
同時期に瑠衣と里穂がおなじ現象を見たということ。そして予想としてクラスの半数ぐらいの子がおなじ体験をした……?
瑠衣は机の卓上ミラーを手にとった。じぶんの顔をまじまじと見つめた。いまは普通だ。いつもとおなじ。
「──お昼すぎに駅前にお買いものにいってね。いまどきのメイクってすごいのね。お人形さんみたいにきれいなふたりぐみがスマホでなんども自撮りしてただけなんだけど、こまかいところまですごく気をくばってるんだなって」
夕飯の鶏むねのピカタを箸ではさみながら母みゆきが話しだす。
「ほんとうにお人形さんみたいな子がふえたわよね。たしかにかわいいのよ。きれいなの。本人たちもそう思ってるんだろうなって感じなんだけどいままでにあったブームとなんか違うのよねえ……カラコンがはやりはじめていまではもう当たり前みたいになっちゃったじゃない? 時代の変化におばさんがついていけてないだけかもだけど……瑠衣はああいうメイクに興味ないの?」
「の?」で、首をかしげたみゆきはテーブル越しにピカタを口に運ぶ瑠衣の返事を待っているような、そのままでもいいような空気をだした。
「うーん……。というかできないんじゃないかな。前にいちどマスカラぬっただけで目がかゆくなっちゃったし。……そういうのやってる子もいるよ。学校でもわからないようにメイクしてる子もいるけど、わたしいまでせいいっぱい!」
瑠衣はごまドレッシングのかかったふとめのせんぎりキャベツをすこしぶきように箸をあやつりほおばった。
「大根とおあげのお味噌汁ってやっぱりすきだなあ」
味噌汁をすすった瑠衣からいつもとおなじ言葉がもれる。そんな瑠衣のすがたを見てみゆきはやわらかに目をほそめた。
「夏だしあついからお味噌汁はたまにいらないかなって、毎年思うんだけどね。なんだかんだ映えないごはんって、いちばんおいしいわよね」
冗談めかしながら食器をかさねてみゆきは椅子から腰をうかした。
「年をとることもわるくないわね。いまはどんな若い子もみんなかわいく見えるのよ。あ、もちろん瑠衣もね!」
「なによ。そのついで感は」
「まちにっはびこる~♪あわれなアンドロイド~♪」
みゆきは懐かしいメロディをくちずさみながらたべおわった食器をかたづけはじめた。
***
「ゴホン! ホン! ホン!」
アンティーク調の姿見鏡がいかにもなにかいいたげにしていた。
みゆきの鏡台と瑠衣の卓上ミラーが姿見鏡に意識をむけた。
「今朝の集計がとどいた。おまえたち、いったいどこまで連絡をとばしたんだ?」
姿見鏡がふたりにたずねた。
「できるかぎりって長老がいったじゃない。とりあえずわたしは瑠衣ちゃんのクラスの鏡たちに連絡したわ」と鏡台。
「おれも瑠衣しかしらないからな。たどって連絡をとばしたのは瑠衣のクラスの……」と、卓上ミラー。
「もういい。おまえたちは瑠衣のことばかり気にしおって。鏡歴がみじかいおまえたちの視野がいまこのものがたりを書いている作者のようにせまいことをわすれておった。わしもうかつだったわい」
はぁ……と、姿見鏡がながいながいため息をついた。
「あら、わたし駅前のショーウインドウさんにも連絡したわよ」
しれっと鏡台が追加した。
「……わかった、わかった。いまはむかしとは違う。妙に大さわぎになって収集がつかなくなってもやっかいだ。規模はそれぐらいでよかったかもしれん。連絡じたいはほぼ正確につたわっていたようだ」
「今朝、おれたちがやったことはなんだ?」
「そうそう。ちょっとおもしろかったけど鏡のつとめである事実をそのままに映さなかったのよね」
「むかしにあった『白雪事件』の真相のことはおまえたちにつたえただろう。(※参照:映#2)あれから現代まで沈黙をつらぬいてきたわれわれだがあらためて鏡の影響力をたしかめようと上のほうで会議があったのだ」
ため息とともに肩をおとしたまま、姿見鏡は声をひそめた。
「夕飯のときにみゆきさんがいってたような話かしら」
鏡台がきらりとするどさをました。
「そうだ。われわれが沈黙をつらぬき、事実をそのままに映しつづけた結果、この時代のふくざつな混乱に関与しているのでは、とな。きれいごとではない人間のうつくしさとはみにくさも卑怯さもなにもかもをあらわすこころなのだ」
「みにくさも卑怯さもだって? おれ卑怯なやつきらいだよ」
卓上ミラーが納得のいかない声をあげた。
「……おまえにはまだわからなくていい話だ。それでだな、おまえたちに今朝、行動にうつしてもらったやりかたは向こう町にある団地のドアスコープたちに知恵をかりたのだ。魚眼レンズというものをしっているか? 中心射影方式というやつだ。実際の姿より目がおおきく、ほおがひきしまって映る」
「ああ……それでかぁ」
「瑠衣のクラスの半分ぐらいが反応してたよな」
「ふだん鏡とつながってる人間ほど今朝のできごとに気づいただろう。だがこの手段もスマートフォンのやつらがとっくに行動にうつしておったのはわしもしらなかった。魚眼レンズアプリというものがあるのらしい」
「……早瀬さんはかわいそうだったわね」
「いつの世も『事実は小説より奇なり』なのだよ」
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