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【小説】映るすべてのもの #10

「りほぴょーん! いっしょに写真撮ろー!」

 朝っぱらから全身でうるさいのはクラスのボスザル上田かおるだ。
 おそらく瑠衣のクラスのギャハハ成分70%は上田かおるでできている。悪口ではない。ほんとうに上田かおるはボスザルなのだ。
 その証拠に上田かおるは「マジで」と「ヤバ」で日々ほとんどのコミュニケーションをクリアしている。
 日本をおとずれる外国人には、ぜひおすすめしたい「マジで」「ヤバ」の日本語は汎用性がありとても便利だ。

 説明するまでもないが上田かおると「りほぴょん」とよばれた里穂はただのクラスメイトだ。だが全国各地のボスザルはなぜかおなじ手法でむりやり距離をつめようとする。
 だからこれは上田かおるの習性であって上田かおるのせいではないのだ。案の定、里穂はからだじゅうの毛穴から疲労がもれだしていた。ところが学校の教室というせまい空間ではこの距離のつめかたをこのむひともいる。
 ああ、わたしはボスザルにきらわれてはいないと。この場所でわたしは安泰なのだとおおげさな歓喜でボスザルによろこびをつたえあらわすひともまた存在していた。

「あ、ごめんね。わたし写真撮るのあまりすきじゃないの」

 笑顔で里穂ははっきりそうこたえた。「マジで~」と一声をのこし上田かおるはまたなにもなかったように群れへもどっていった。
 すぐあと、うしろの席に着席していた瑠衣と教室の入りぐちにいた里穂の目と目があった「うふ」という里穂のこころの声がした。
 いつもだったらああいう場面でしかたなく写真におさまっていた里穂だがふだんとちがうさわやかなつよさを感じた。

 上田かおるのおかげで里穂のこころの一面が見えた。クラスの何人かもなにかを感じとったようだ。感じて考えて、感じて考える。学生でも大人でも選択と決断の連続だ。
 毎日生きてるだけでなんらかのイベントが発生する奇跡。たのしいことはすぎさってしまうのに、つらさだけがずっとベースにあるような勘違いをしてしまうことをときどき不思議だと、はたと気づく。

 よくよく考えれば派手なたのしさやうれしさはその場で完結してしまうことが多いだけでエンドでありスタートなだけだった。
 いかりや傷つき、悲しさ、むなしさ、寂しさはなにかの拍子に誕生してそれらにひきずられて一緒にあるいてしまう、単純に感情の質の違いだ。
 なにかをつかめそうな気がする。もうちょっとでなにかを。

 瑠衣がいつもどおりに考えごとをしていたら上田かおるがそばにいたことにうっかり気づかなかった。

「あれ~? 加藤さんって今日メイクしてる?」

 上田かおるのやることはほんとうにわかりやすい。「りほぴょん」のあとの「加藤さん」だ。
 ボスザルの防衛反応とともにそなわっている一見わかりづらい攻撃性も上田かおるのせいではないことを念のためつけくわえておく。
 上田かおるが「るいぽよ~」とかいえば馬鹿でちょっとかわいいとも思えたかもしれない。いや「るいぽよ」とよばれるのは絶対にいやだった。もちろん「るいぴょん」も不可だ。

「ちょっとリップぬってるだけだよ。たまにはいいでしょ」
「マジで~」

 こころで「ハウス!」と、上田かおるにとなえた瑠衣だった。


***

 昨夜にかすかにきこえたパチパチとした雨音は気のせいだったのか、いやになるぐらい今日もずっと快晴だった。

 やすみの日、ひさしぶりに瑠衣はドラッグストアのコスメをのぞきにいった。けれどもやはりどこまでどうするものなのかいまひとつわからなかった。

 遺伝性の体質ですこし手や首がふるえてしまうせいか、高校生になり、はじめてビューラーでまつげをはさんだときに瞼まではさんでしまいちょっぴり泣いた。体力のなさにくわえ瑠衣は微妙にひとと違うことが多い。
 はっきりしたものよりちょっとひとと違う。そのちょっとがコンプレックスにも化けていた。劣等感、劣等の反対はなんだろう。しらべれば「優等」らしかった。

”チャームポイント”になるとあやふやになるよなあ……大量のプチプラコスメをながめながら感想ももれた。
 身長、ほくろ、そばかす、傷あと、ちいさいころはギプスをつけている子がやたらかっこよくも見えた。表情やものごし、しぐさ、そのひとからにじみでる空気みたいなもの。

 年をかさねたら内面が顔にでるなんて話もきくが、若くても十二分にでているのではないか、だけど違うじぶんの顔もちょっと見てみたくて昨日さくらんぼ色のリップグロスを一本買ってみた。はずかしさと照れのあいだにあるような感覚をあじわった。

 今日もいろいろあった。毎日学校へきてるひともきてないひともこれなくなったひとも学生はきっと全員えらい。「マナブにイキル」で学生か。漢字ってあいかわらず残酷だ。

 かえりぎわに里穂が瑠衣のリップをほめてくれた。
まだメイクのことはよくわからないが、なるべく違和感のないもの、はやりを優先するより心地よさをひとつひとつえらんでゆくことが瑠衣にはあっているようだった。
 えらんだリップは瑠衣のうす茶色の髪色とよくにあっていたらしい。里穂がめずらしく評価のようなことを口にした。

 テニス部だった快活な中学生のころの里穂の顔がたくさんのぞいた日だった。
 ひとはかわっていくけど、かわらないこともうれしかった。
 さくらんぼ色のリップグロスはしばらく瑠衣のお気にいりになりそうだ。

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