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半世紀を生きる

そこにのこったのはおそらくわたしだけでなくきづいてしまって去っていったものその流れがいま始まっていて。わたしは、そのうずにまかれてながされているのだろう。数が得意な人は予測してはいたんだろうだけど、じっさいのかたちがどのような様式かまではなってみなきゃわからないもんでその形がわかる時期がいまおとずれているのだろう。
わたしは只流されているだけで自分で考え判断してきたはずなのだが、どうも鬱の兆しとでも捉えるのが正しいのかわからないけれども。たしかな感覚として己の第六感のような他人からはふたしかなようなそんな感覚による判断を自分の舵取りに任命しているようだ。

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