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矛盾と不幸と笑い

こんばんは。

初投稿です。

今日は、久々に買った本を、
当日中に読み終えました。


今日は、有休を時間単位で取って、13時半からお休みをいただいたのですが、丸善ジュンク堂書店に気づいたら16時半まで居ました。

3時間も本屋にいて何すんの!と突っ込んだ方もいるかもしれませんが、単純に気になる本をじっくり見て、手に取って読んでいます。
あと、階毎に漫画・小説・学術書などジャンルが分かれて置かれているような、大きな書店(店舗)に行くと、階をはしごして行ったり来たりするのでつい長居してしまいがちです。

いつも仕事終わりに本屋に寄ってしまうので、日常過ぎて、有休を取った意味がない気がしてきましたが、いいんです。

今日も、今日でなければ出会えなかった
本との出会いがありました。

本日、出会った本は岡本雄也さんの
『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』(幻冬舎文庫)

私の気づいたら手に取ってた文庫ランキング3位には入りそうな幻冬舎文庫です。


幻冬舎文庫から出ているエッセイは不思議と刺さります。益田ミリさんとか芹澤桂さんとか。


ちなみに、岡本さんのことは今まで知らなかったのですが、今回本を手に取ったのは
ずばり、シンパシーを感じたからです。

著者の岡本さんは何を詠んでも不幸短歌になってしまうそうなんですが、私はプチ不幸俳句をつくったことがあります。


プチ不幸俳句とはなんぞやと思われるかもしれません。
小学2年生のとき、国語の授業で自由につくっていいよと言われてつくった俳句です。
それがこちら。


「おにごっこ はしりすぎたら つかれるよ」

自分は最初気に入っていなかったのですが、
母がこれは良い!とあまりにも気に入ってくれて以来、私もお気に入りです。

今はこの俳句にも
私的スキポイントがあって、

まず、鬼ごっこが嫌いな子どもらしからぬところと、打って変わっていかにもやる気がないことを先生にバレることを危惧しない子ども特有の伸びやかさ、ちがう要素を含んでいるところが1つすきなところです。

もう1つは人の目なんて気にしなくていいや
元来マイペースなんだからって
自分の根っこを思い出させてくれるところです。

もう宝物ですね笑

さて、話を戻して、この本は短歌とエッセイで構成されていて先に短歌がきて、あとから短歌の背景にある日々が綴られています。

タイトルからも分かる様に短歌がさりげなく不幸なのがこの本のミソです。

この本の中で私が好きだなあ〜と感じた
短歌を1つ載せます。

「死にたいと呟くあいつの腸にまで生きて届いてるビフィズス菌」

本当に死にたいという気持ちからではなく、音として「死にたい」という言葉を使ってしまっている人がいると切り出す岡本さん。

音としてという表現、絶妙で腑に落ちました。
意味はなくても、息の様に吐いてしまうのかな?と思っていたけど、音の方がピンとくる。

そして、シーンは知り合いとの食事にうつります。そこで、知り合いが困っているとは思えない顔で何人かの女性に言い寄られて困っていると話した最後に一言。

「死にたい」

岡本さんはどこに死にたい要素があるんだよ!と突っ込もうとします。その矢先、死にたいと呟いた先方がヨーグルトを食べます。

そのときの短歌が前述の短歌です。

ヨーグルトといえば生きたまま腸に届くというビフィズス菌が含まれている。
仮にも死にたいと口にしている人がヨーグルトを食べて、腸に生きたビフィズス菌が届く。
その状況にカオスを見出した岡本さんは笑ってしまったそうです。

こうした日常に潜む人が持っている矛盾って
なんだかかわいらしくて笑えること
ありませんか?

私はあります。そして、大好物です。

なんだか不完全なところ、隙があるくらいが
人間らしくていいのかも?

なーんて思った8月8日、末広がりの日でした。







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