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じぶんってなんだ?(小・中編)と、じぶんを待っている何かがあると信じたい話

自分の軸「自分が嫌で変わりたい」


「自分ってほんとになんなんだろう?」と
「変わりたい」の繰り返しで生きてきた。


永遠に答えが出ることの無い問いと、
私は生涯を通して付き合うのかな?


この問いを自分に向ける必要がなくなったら考えなくなるのかもしれないけど、それはそれで面白くないとか思っちゃう自分だから
一生考え続けるんだろうな。

この問いは、たぶん
私が生きていく中での1つの軸。

2009〜2014 小学校


小学生の時は、常に人間関係について
悩んでいて
「じぶんはどうして人と馴染めないのか」
「人と仲良くなるには」
「友達はどうやったらつくれる?」

友達との関係、元から友達じゃなかったけど狭いコミュニティの中で互いに苦しみ合いながらただ一緒にいなければいけなかった人との関係について悩んだ。

小学3年生に上がると、
いいことが1つ、辛いことが2つあった。


いいことは大好きな絵を通じて親友ができたこと。辛かったのは担任になった先生との折り合いが悪かったことと、両親の仲がどんどん悪くなり、怒号・諍いの中で寝なきゃいけないこと。


いわゆる「元気で愛嬌のある素直なこども」をかわいがる先生に「大人しくて口下手な何を考えているか分かりづらいこども」が気に入られる訳もなくて、ただでさえ低かった自己肯定感が底をつきて、「卑屈・ひねくれ」が加わってしまった。

またも
「自分ってどうしてこうなんだろう?」
「自分にいいところなんてとうとうないんじゃないか?」
「いっそ開き直って、ひねくれ者として生きる?」
真剣に考えた。

悩んでいたとき、
「信じること」の大切さを教えてくれる
私の中に眠っていた当人も気づいていないキラキラを見つける度に、
「ほら、あなたのそこ光ってるよ!
もっと輝いてもいいんじゃない?
あなたは輝けるひとだよ。」って


私を見つめて、信じて、見守ってくれる
先生と出会った。
この出会いがわたしを変えた。


今思えばこれ、
「変 態」(メタモルフォーシス)ってやつだったのかもしれない。

この話もいつかできたらいいな。


私は小学校を卒業した。
これから先、先生に再会できたとき、
誇れるじぶんになろうと決意して中学校に入った。

2015春、中学校入学


入学後すぐに大きな手術をして、
学校に戻る。

土日も含め毎日一緒にいた親友と
手術で1ヶ月離れていた。
教室に入って真っ先に話しかけて
抱きしめたかった。

教室に親友の姿はなかった。


理由がわからないまま離れ離れになって、
なんでいなくなったのって最初は怒っていたと思うけど、そんなのも束の間、後はずっと寂しかったし、早く会って話がしたかった。


親友の存在が急に遠のいてしまった気がした
中学1年生の1年間、私はいじめにあった。

耐え忍ぶ生活の中で毎日がどす黒い感情でいっぱいになった。
その頃は自分の心の中の鋭利な棘や刃がすべて
他者に向いていて、(結局それは自分のことも刺していて)振り返ってみると自分のことを考える余裕はあまり無かったのかもしれない。

だから何を考えていたのかも、もうぼんやりしていて、ほとんど覚えていない。
覚えていても毒だから、忘れさせてくれたのかもしれない。

考えていたとしたら、
「ほんとに自分の人生ってなんなんだろう」
ってことだけだと思う。

いつも、人と仲良くできなくて、
壁を作って、本当は誰よりも人の心に近づきたいのに。せっかく掴んだキラキラも、もうぼろぼろで光っていない。

こんな、うまくいかないことで9割占めていた気がする窮屈でハードな人生最初の12年間
「死にたい」と思ったことは一度も無い。

理由は

死ぬほどのことだと自分が思わなかったから。
が無意識の理由だと思っていて、

意識してた理由は、

死ぬには痛みが伴うことが大半で、
私は死ぬ瞬間に物理的な痛みを
味わって死にたく無いから


それから、それまでに経験した辛い経験上、目の前の日々がどんなに永遠のように長く感じられても、いつかはお別れできると知っていたから。


私の場合は、その後すぐにお別れが確定した。あまりにも辛かったので、先生に来年のクラス替えで別のクラスにして下さいと母と一緒にお願いしにいったのである。


これにより、同じクラスにならないことがなんとなく保証され、毎朝かかるめざましテレビの朝のテーマソングで地獄の朝の訪れを感じつつ、「あと◯日で離れられる。だから、がんばれなんて言わないから耐えろ自分」と自分で自分を鼓舞して学校に通っていた。
耐えることを励ましていた。


終わりがあることは、救いだ。
今暗闇の中にいる人が辛いのは、
闇がどこまで続いているのか終わりが見えないからだと思う。


どこに自分を愛してくれるひとや、
自分が安らげる場所があるか
わからないし、ないと思っているから
だと思う。


たぶん、地球の果てのどっかにはあるし、いる。



きっと誰にでもあるはずなのに。
何が自分を待ってくれているのか分からないから面白い。でも、分からないから意地悪だ。
分かったら会いに行けるのに。そしたら自分が心地良い方へ走り出せるかもしれないのに。

今、絶望の淵に立っていない人から、
「今は辛くても、明日はちがう毎日が待ってる」なんて言われても、受け止められないし、
むしろ心が荒みすぎて、新しい棘が生えてきて、そんな言葉捨ててやるって思っちゃう。


これを読んだ今、苦い思いで生きてる人も
このnoteを引きちぎってくれて構わない。


苦い思いはしなければしない方がいい。
あと、今辛いことがあって耐えてるんだったら、耐えんなバカとも思う。

耐えないで、「いいよ」なんて思ってないこといわないで、「よくない」って私は嫌だ。私はあんたが嫌いだくらい言ってもいい。


私はあなたにかけられた言葉でこんな風に傷ついたんだよ。だからやめてって、もっと自分の言葉でほんとうの想いで伝えたかった。

いまは辛い時、辛いって言える。

言えない時期があったからこそ、
言うことの大切さに、
思っているだけじゃなくて相手に伝わることが大事だって気づけた。

でも言えないときもあるね。
言っても伝わらないこともあるかもしれない。
ここに書いていることは、
過去を綴っている以上、すべて綺麗事だ。
そういうときは、言わなくてもいいよ。


だから、地球の果てのどっかに行こう。
自分の言葉が伝わる世界に行こう。


私は自分の言葉や想いが幾度となく重なって、理解してもらえる感覚が何度も味わえたから私は本が好きで、そんな感覚を言葉から吸収したから、言葉が好きです。

伝わる世界は、人じゃなくてもいい。

本でも山でもいいから。
あなたが、わたしが安らぐ場所を
この人生が終わりを迎える前に
見つけられますように。

             平安の祈り




伝える・伝わる
言葉や感情を美しく思う
味わえる

そんな毎日がしあわせだ。
いつも、いまが1番しあわせだ。

耐えんなバカと思うけど、
私はやっぱり耐えてよかった。


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