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【メディアリテラシーとは】批評=視聴者の声なの?なぜ必要?

近頃では、SNSでの批評をもとに新作映画・ドラマのキャスティングが行われることも当たり前になってきているようです。
視聴者の声をダイレクトにエンターテイメントに反映できることは、創作する側も受け取る側もうれしい相互作用があるといえるでしょう。

ただ、世の中のエンターテイメントや芸能人に対する批評は、ちょっとした危険性を含んでいると私は考えています。私たちは日々だれかの言っていた「なにか」に惑わされる可能性があるためです。

顔もわからない、人となりも知らないだれかの発言に便乗する人が出てきて、結果それが「批評」となる。「批評」=視聴者の声となって、エンターテイメントに影響を与える。その仕組みに不安を覚えるのは、私だけでしょうか…。

情報化社会に生きる私たちは、メディアから受け取る情報やSNSによって発信された情報を想像・思考する力が必要です。

皆さんは、メディアリテラシーという言葉を聞いたことがありますか?

「メディアリテラシーとはどういう意味?」
「メディアリテラシーはなぜ必要なの?」
と疑問を抱いている方も多いでしょう。

note第8回では、メディアリテラシーの意義について調べつつ、考えたことを文字にしていきたいと思います。言葉の意味から必要な理由までわかりやすくまとめていくので、ぜひ参考にしてくださいね。

メディアリテラシーとは

メディアリテラシーの言葉の意味は、以下の通りです。

メディアリテラシーとは
メディアリテラシーとは次の3つを構成要素とする、複合的な能力のこと。
1.メディアを主体的に読み取る能力。
2.メディアにアクセスし、活用する能力。
3.メディアを通じ、コミュニケーションする能力。特に、情報の読み手との相互作用的(インタラクティブ)コミュニケーション能力。

総務省公式-放送分野におけるメディアリテラシー

総務省の公式サイトによると、メディアリテラシーとはメディアを主体的に読み取りながら活用する能力のことを指しています。

メディアリテラシーを簡単にいえば、メディアを使いこなす能力ということです。

メディアリテラシーはなぜ必要なのか

メディアリテラシーがないと社会はどうなってしまうのでしょうか。ここでは、メディアリテラシーが必要とされる理由を以下2つから紹介していきます。

メディアリテラシーが必要とされる理由
情報の正確性
SNSの発達による発信・拡散の自由度

情報の正確性

メディアリテラシーが必要な理由としてまずあげられるのが、世に出回る情報の正確性です。

現代では、スマホやパソコンで検索すれば知りたかった情報がすぐに手に入ります。
人が知りたい物事の数だけ答えを用意する作り手がいて、情報化社会とよばれる現代が成り立っているわけです。

ただ、世界は新しい方へと始終動き続け、それに伴い人々の興味関心も変化し続けます。読み手の知りたいことにすぐに手が届く状態にするには、それなりのスピード感をもって情報を提供する必要があるでしょう。

そこで留意されるのが、情報の正確性です。
スピード感を重視するあまり、正確性の低い記事が世に出回る可能性も否めません。
同時に、私たちはだれかの言っていた「なにか」に惑わされる可能性が比較的高いともいえるでしょう。

情報発信・拡散の自由度

SNSの発達による発信・拡散の自由度が上がったことも、メディアリテラシーが必要な理由としてあげられます。

私たちはいつでも、SNSツールにより感じたこと・考えたことの発信が可能です。身元を公開せずとも、1意見として物事に対する会話に参加できます。

ただそれは、メディアや人の意見をだれでも左右できる可能性があるともいえるでしょう。

そこで考えたいのが、メディアリテラシーの重要性です。世間ではこう言われているが、私は本当はこう思う。その「本当は」が大切だと、私は考えます。

メディアリテラシーを身につけるには

ここでは、メディアリテラシーを身につけるために必要なことをいくつか紹介します。

メディアリテラシーを身につけるのに必要なこと
・情報の事実と意見を区別する
・情報を主観的にのみ捉えていないか考える
・情報の発信元を確認する
・プライバシー保護の配慮をする

発信されている情報には、事実と意見の両方が書かれていることが多いです。
よって情報の受け取り方として、事実・意見を区別すると、人の意見を鵜呑みにしてしまう可能性を減らせるでしょう。

普段からメディアリテラシー思考の習慣化を意識できると良いですね。

SNSとメディアリテラシー

ここではメディアリテラシーの意義をふまえ、SNSが作り出す不安要素・コミュニケーションツールとしての依存について考えたことを文字にしていきます。

フォローを外すことへのネガティブさ

数年前私がSNSをやめた際、繋がっていた人たちから少しの批判を込めた心配だよの言葉をもらっことがありました。
「突然いなくなったけど、どうしてやめちゃったの?なんか嫌だった?」「心配してるよーちゃんと生きてるー?」といったもの。

もちろん、私はちゃんと生きていました。笑
フォローを外す・SNSをやめることに対しての、まわりのネガティブなイメージは大きかったようです。

SNSが作り出す不安要素

私たちは、リアルタイムで動画が投稿できるSNSツールにより実際に会って話さなくてもお互いの近況を把握できます。

ただ、時間が空いたらリアルタイム動画を観るという習慣は、他人の行動範囲や状況を常に気にすることに繋がる恐れがあると私は考えます。
家族ではない他人の、状況です。

これこそSNSが生み出した不安要素・コミュニケーションツールの依存かもしれません。私がSNSをやめたときのまわりのネガティブな声が、その不安を物語っています。

人の状況を気にしすぎてしまうことは、自分の行動範囲をも狭めてしまう可能性を含んでいます。
SNSとの関わり方として、私たちはメディアリテラシーの重要性を考える必要があるでしょう。

終わりに

これまでnote第8回では、メディアリテラシーの意義について考えたことをまとめてきました。

メディアリテラシーを身につけるには、普段から意識的に情報を受け取る・発信する必要があります。メディアは日頃からだれでも触れる機会があるため、今後ますます求められていくスキルといえるでしょう。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。
次回note第9回は、軽く読めるような楽しい(…?)内容にしようと思案しているので、目に止まりましたら読んでみてくださいね。

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