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”学問への入り口”百科事典とその家庭教育への役割について考える

はじめに

 コメニウス(1592~1670)が提唱する汎知主義(あらゆる学習者に、あらゆる知識を広く与えるべきという考え)を授業で学びました。かくいう安直な理由から、付け焼刃の薄っぺらな知識で百科事典の子供への重要な役割について述べようと思います。

学問への入り口としての百科事典

 ふと自分の幼少期のことを思い出してみる。祖父母宅には、祖父が大学卒業後に大枚を叩いて買い揃えた『原色現代新百科事典』(学習研究社、1967年、全8巻+別冊、定価23,200円)がオブジェのごとく戸棚に並べてある。祖父母宅に入り浸っていた私は、暇なときにいつも頁を繰っては遠い異国の様子や見たことのないような動物の、美しい彩色の挿絵や写真を見て思いをはせていた。
 思えば、この百科事典にパラパラと目を通すという経験が、現在の自分の知的好奇心の源流を担っていた。つまり、人生における学問への入り口となっていた。

網羅的に学べる百科事典、汎知主義の観点から

 祖父母宅の百科事典とは別に、自宅には知り合いの医師から譲り受けた『原色学習ワイド図鑑』(学習研究社、第41刷1983年、全25冊+別冊、定価90,000円)も本棚にあった。この図鑑は値段が値段なだけあって、美しい挿絵や緻密な解説が優れているが、この図鑑があるだけでは子供がいつでも手に取って楽しく学ぶ環境がそろっている、とは思わない。そこで、環境づくりに重要になってくるのが「百科事典の網羅性」である。

分野ごとに別れている原色学習ワイド図鑑


 前提として、生得概念も皆無ではないだろうが、子供の興味や関心事というのは基本的に何に触れるかによって左右される。つまり、白紙(タブラ・ラサ)に生まれた子供に幼少期に色々な学問を表層でもいいから見せ、自発的に興味を持てる環境をつくることが今後の好奇心にとても重要になってくる。そこで、ジャンルごとに本が分かれた『原色学習ワイド図鑑』より、蝶から偉人、建造物まであらゆる知識が同一の頁に掲載されている百科事典が子供が一番最初に学問に触れ、興味を持てる読み物として向いているといえる。生得概念に重要な役割があるにしても、あらゆる事物に目を通すことで自分の興味関心に気が付くことができるという点で百科事典の網羅性が優れているといえる。加えて、自分の関心のないことにも一通り目を通すことも無駄ではなく、幅広い知識を持つ基礎となる。
 百科事典で興味を持った子供は、より詳しい知識を求めて『原色ワイド図鑑』のような図鑑を読むようになり、知識を深めていくことになる。百科事典はともかく重要な学問への入り口なのである。

視覚的に優れた百科事典

 百科事典は図鑑と同等にカラーの図や写真が細部まで美しい。ネットや現実でいろいろなものを見てきた今でも十分に美しいと思うのだから、子供だったらその感激もひとしおだろう。この写真は綺麗だなと感じて、もっとそのことについて知りたい、この虫を実際に見てみたいと思えたら、それが学問の始まりである。加えて、「学問は面白いものだ」と思えたら儲けもの。楽しい勉強の経験は、就学後も自発的に勉強をして、より多くのことを知りたいと思える研究マインドの基礎になる。

 前項で述べた網羅性と豊かな挿絵を持つということを総合すると、「非常に幅広い知識を、興味を引く挿絵や写真で子供たちに提示し、それぞれが惹かれた学問にいざなう」ということが、学問の入り口としての百科事典が子供の教育に果たす大きな役割である。

百科事典文化の衰退

 2000年代以降、インターネットの普及に伴って紙媒体の百科事典は急速に需要を減らしていった。インターネットはありとあらゆる分野にわたり、百科事典をはるかに凌ぐ情報量を抱えている。しかし、それとアクセスできるかは全くの別問題である。(常識的ではあるが)
 これも、前に述べた百科事典の網羅性に帰結する。一見すると網羅的であるが、どんな多くの情報があっても自発的に調べなければ情報を得られないネットは、斜め読みをするだけでもいろいろな情報が入ってくる紙媒体の百科事典に取って代わることは出来ていない。これは、電子版の百科事典にも同様のことが言える。
 確かに、通信料を除けば無料で使えるネットがあるのに、全て揃えると数万円はかかる百科事典を買うとなると非常に悩ましいことである。しかし、一生の生き方にかかわる知的好奇心の涵養ができることと、学問の楽しさに気付けず、お勉強をさせるために学習塾に入れて無駄金を払うことになることを考えると非常に安いものである(反受験産業過激派)。何だったら、フリマアプリで見てごらん、びっくりするくらい安いから…。
 真面目に述べると、一生を豊かにすることになる知的好奇心と、基礎的な教養は値千金である。そのきっかけになる百科事典は極めて優れているのだ。

おわりに

 かつて中流階級の家ならどこにでもあり、日本人の基礎的な教養を担っていた百科事典は、今や過去のものになりつつある。しかし、子供の家庭教育において非常に重要な役割、学問へいざなうツールとしての役割はいまだに全く時代遅れではない。オブジェのように本棚に鎮座していても構わない。子供がいつでも幅広い知識にアクセスできる環境を大事にされたい。

 ”一家に1セット百科事典を”

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