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苺と古傷

心もそうですが、身体にも記憶があり、昔々でも痛い思いをしたところには、痛みと恐怖の記憶がそのまま残っていることがあります。その時、どれだけ適切な対処をすることができたかどうか。根本のところに触れないままにいると、何年も何年も、その傷を覆う様に細胞が育ち、目に見えない歪みをつくりだしていきます。

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牡牛座の新月の朝、ご近所さんのお友だちが苺を届けにきてくれるという知らせが入っていた。その人(以下、イチゴさん)とは、私が朝鮮半島のルーツを訪ね歩いていた頃に、たまたま韓国で出会った。もう10年は前のこと。
その後は1年に一回、お会いするかしないかだったのだけれど、イチゴさんとの時間はいつも、不思議に満ちた楽しい時間で、このYataの家のすぐ近くにイチゴさんが住んでいたことは、ほんとうに巡り合わせとしか言いようがない。

イチゴさんは、去年も朝摘みの苺を届けに来てくれた。その日はたまたま私のお誕生日で、そして、たまたま、遠方に住む友人も知らずに泊まりにきてくれていたり、その友人に会いに別の友人がやってきたり、私の誕生日を知らない、いや、すっかり忘れている古参の友人たちが集まってきた、本当にご褒美のような1日だった。こんな瞬間があると、流れのままに日々を過ごしていることで起こる、小さな奇跡の訪れが楽しみになる。

3年ほど前、心も身体もガチガチになって眠れなくなり、目の前のことに集中できず、慢性的な首の痛みや、突然、口があけられなくなったり、様々な症状が次々とでて、ちょうど、本格的にYataの家に移動してくるころには、腰の痛みでベットから起き上がれなくなっていた。内科的には問題はなく、整体に行っても鍼治療に行っても、すぐにまた、次の症状がでてくる。それでも、根本治療には時間がかかるからと、「今日はどうしました?」と、一生懸命に鍼をうってくださっていた先生のところへ遠くて通えなくなることが少し不安なままYataの家にきたのだった。

Yataの家に来て、そんな状態だった心身を和らげてくれたのは温泉だった。私は土地の歴史が大好きで、時間ができるとフィールド調査としていろんな山や集落へと出かけて行っては寺社仏閣や鎮守の森、民俗資料館などを巡った後、その土地の温泉に入って帰ってくるのがいつもの行程だった。また、昨年は、宮崎にも人と仕事のご縁ができて、鹿児島へも足をのばし、思いがけず、温泉巡りの1年となった。そんなことをしていたら、秋を迎えるころには随分としゃんとしていて、心身がガチガチだった頃に観ていた海外ドラマを再度、見直すと、「こんなストーリーだったんだ」と驚いたほど。それくらい、論理的思考も崩れていた、ということだ。

表面がほぐれてくると、ラスボスのような古傷が露わになってくる。イチゴさんは、「ずっと気になっていた」と、その日、マッサージをかってでてくれたのだが、私の身体に触れ始めるとすぐに、右膝の古傷に気づいた。怪我をした時の状況を丁寧に訊いてくださり、話していると、その時、どんな処置をされたのかも次々と思い出され、ようは、レントゲンで骨に異常がないので大丈夫と湿布を出されただけの記憶だったのだが、その後、足を伸ばせるようになるまでしばらくかかり、でも、ちゃんと伸ばせている感はなく、いまだに疲れると膝のあたりが重くなり、伸ばせなくなっていく。いや、足は伸ばしているのだが、伸ばしている感がなくなっていくのだ。

イチゴさんは硬くなっている筋を見つけ出しては丁寧にほぐしてくれたのだが、自分で触れることも人に触れられることも怖い箇所だということを改めて認識した。「身体はすごいね」という話をした。歪んだままでもなんとか動かし続けようとするが、それでも無理をしているから、いろんなところに痛みとしてでてくる。それでもぎりぎりまで動こうとする。

痛みの恐怖として残っている感覚や、痛みを感じたその瞬間に適切に触れてもらえなかった記憶が、どんどん触れることを避けさせようとするけれど、だからこそ、ゆっくりゆっくりとほぐしてゆくことの大切さに気がついた。

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