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切れてないですよ

ミンガスを、同じ4月22日生まれのポール・チェンバース(Paul Chambers、1935年4月22日 - 1969年1月4日)と対照すれば、質の違いは鮮明になる。

マイルスのあまりにも有名な『So What』の映像に、ポール・チェンバースがベースを弾く姿が残されている。
特に終わり近く、モーダルなベースラインを実に丁寧なローポジションに徹して弾く演奏は、聴き込むほどに良さが伝わる。
弦高を高めにしているのでビビりが鳴りづらく、芯のある太い音だ。その分、弦がフレットにつくまでの距離が長くなるので、弦を押さえる左手の運指が大変になる。ミンガス同様、彼はそうしたハンディをものともしない。
豊かな音量ゆえに、限られたフレーズからも無限のニュアンスが拡がるのだろう。
生前セッション・ミュージシャンとして引っ張りだこだったのも、頷ける。

ポール・チェンバースはまぎれもなく(数多くいる)ジャズの「天才」の一人だが、ミンガスに対する「天才」という評価を、寡聞かぶんにしてあまり知らない。
チェンバースの柔らかさに対してミンガスのベースはとがっているが、天与の才能という意味で、両者の優劣はつけにくい。

実はミンガスは1953年、ベーシストのウェンデル・マーシャルの代役として短期間、エリントンのバンドのメンバーになった時期がある。
ところが悪名高い気性が原因で、ファン・ティゾール(トロンボーン)と舞台裏で大喧嘩(実際はミンガスが一方的に相手をぶん殴った気がする)し、エリントンが自ら解雇した数少ないミュージシャンとなってしまった。

ジャズの神さまにクビを切られるほどの、協調性のなさである。
そういえば後年(1962年10月12日)、ミンガスは同じくトロンボーン奏者のジミー・ネッパーの口を殴っている。トロンボーンを吹く人に、何か恨みでもあるのだろうか。

ミンガスの一撃で、ネッパーの歯冠しかんとその下にある歯根しこんが折れた。ネッパーによれば、これにより彼のアンブシュア(演奏する際の口の形や状態、口腔内の動作や働き)は台無しになり、トロンボーンの音域の最高オクターブを永久に失ってしまったという。
これだってニューヨーク市庁舎で予定されているコンサートのスコアを一緒に制作していていて、思うような作品に仕上がらないと癇癪かんしゃくを起したのが原因だ。そのとばっちりから以降の音楽人生に致命傷を与えられてしまったネッパーさん、可哀想過ぎやしないか。

とんでもないオヤジだが、ミンガスが麻薬や酒におぼれた記録は見当たらない。むしろ、薬物中毒の同僚を(その音楽は別として)忌み嫌っていた節がある。

一説によるとミンガスは1955年、チャーリー・パーカー、バド・パウエル、マックス・ローチらと、「同窓会」と称してクラブで演奏していた。
このときバド・パウエルはアルコール依存症と精神疾患(警察による激しい殴打おうだと電気ショック治療によって悪化した可能性がある)をわずらっている。演奏はもちろん、首尾一貫した発言ができず、助けられながらステージから降りなければならなかった。
パウエルの無能力状態が明らかになる中、パーカーはマイクの前に立ち、パウエルの復帰を懇願こんがんするかのように「バド・パウエル… バド・パウエル…」と呪文のようにとなえ続けた。
パーカーはパウエルが去った後も数分間この呪文を続け、彼自身は面白がり、ミンガスは激怒したという。
ミンガスは別のマイクを手に取り、群衆に向かって「紳士淑女の皆さん、私はこの件に関わっていません。これはジャズではありません。彼らは病気の人たちです」と宣言したという。
そしてこれがパーカーの最後の公の場でのパフォーマンスとなり、約1週間後、彼は長年の薬物乱用の末に死亡している。

健康的なミンガスに対し、ポール・チェンバースは生涯にわたって、アルコールとヘロイン両方の依存症だった。彼は1968年末に入院、結核を患っていることが判明する。
臓器の機能が悪化し、18日間昏睡状態に陥り、その後33歳で亡くなった。直接の死因は結核でも、過度な薬物接種が寿命を縮めたのは間違いないところだ。
これが逆ならさもありなんと納得してしまいそうだが、人間とは分らないもんである。

予定通り(?)明日に続くが、ポール・チェンバースがその天才を個人のレベルで昇華させたのに対し、ミンガスの天才性はユニットを組むことによって、初めて発揮されるものだった。
そこんところを、出来ることなら明日、考えてみたいの心だぁー(小沢昭一風。古いか😅)

イラスト hanami🛸|ω・)و


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