続・黄昏ぬビギン
新東名高速道路の連絡路「清水いはらインターチェンジ」が整備されたのが、2011年(平成23年)のこと。
2023年2月には、清水いはらICとつながる静岡県道清水富士宮線バイパスが、全線開通した。これによって、清水市街や清水港へのアクセス性が大幅に向上する。
神戸港・長崎港と共に「日本三大美港」の一つである清水港と直結し、2021年8月の中部横断自動車道の全線開通をもって、山梨・長野・新潟までが一本につながったことになる。
それまで机上の計画だったものが現実に動き始めた2010年あたり、地元の有志は大いに沸いたそうだ。
「君は太平洋を見たか、僕は日本海が見たい」をキャッチフレーズに、静岡にとどまらず山梨・長野までの熱気を背景に、「道の駅」構想が立ち上がる。
地元企業も賛同し、町の有力者や市会議員を中心に行政へ陳情を始めた。それ以上に大規模な計画もあったようだが、そこまでいかずとも「道の駅」くらいの規模であれば、容易に実現も可能だったはずだ。
ところが静岡市は、一切動く気配を見せなかった。理由は今もって分らない。当時の市長あてに要望書も提出されたが、明確な回答がないまま10年以上の歳月が流れる。
行政の塩対応に、中心になろうとした企業が引き始める。県外の交流も続いてはいたが、当初の熱気はとうに冷めていた。
当時50代から60代初めだった中心メンバーも、それだけ齢を重ねていく。いくつかの小さな試みも途切れがちになり、「道の駅」はかなわぬ夢のまま潰えるかにみえた。
行政が動かないのであれば、自分たちがまず動こう。
2022年5月、すべてが地元の人たちの手作りと手弁当による、「第1回リベンジ清水いはらフェス」が開催される。社会実験と称し、仮想「道の駅」を開いた場合、どれほどの反響と経済効果を生むかを検証するためである。
リベンジとあるのは、当時コロナ禍の最中にあり、最初に予定した2月開催が中止となったためだ。
持ち越しとなった5月下旬、天候不順が心配される。案の定、朝から雨は降っていた。それでも、決行するしかない。まったくの手探り状態のまま、10時の開幕を迎えた。
懸念はいい方向に外れ、すぐに会場は人で一杯になった。馴れない車の誘導やアンケートの取り扱いに手惑い、お客様にはご迷惑をおかけした。それでも悪天候の中、2,000人以上の集客を達成したのだから、まずは成功と言っていい。
僕がこのイベントに広報部として参加したのは、前年の暮れから。紹介を受け、動画撮影のいいステップアップになると思い、仲間に加えてもらった。
幾度か会議にも参加したが、新参者ゆえ発言も一切控えている。その時点で今の立場になろうとは、露ほども思っていない。長い時間をかけて、ここまでやって来た皆さんである。こっちは動画が撮れて編集する機会が増えれば、それで御の字のはずだった。
イラスト hanami AI魔術師の弟子
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