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日常からの切り抜き

(前回の続き)
夫に先立たれた75歳の静子しずこ。息子夫婦と高校生の孫と、一つ屋根の下に暮らすようになった。

自分で決めたことは、ぜったいに守るのが信条の静子。家族の私生活に表立って口出しはせず、気付かれぬようにこっそり陰から手出しをする。
フィットネスクラブに通い始め、水泳に励む静子。
新聞配達に来る青年と、孫の部屋から持ち出したバーボンで意気投合する静子。
その青年からパソコンを習い、手紙を細工しては息子の出会い系をやめさせようとする静子。
ながく想い続けた男の晩年に再会するため、届いたはがきをきっかけに老人ホームを訪ねる静子。

軽快なテンポに「日常」はよどみなく流れていくが、そこから一瞬を切り取れば、根源に対する気づきや問いが、絶えずなされているのを知る。

ようするに、人生というものは青天であるのがあたりまえだと思っていたのだ。雨の日や風の日は、「ほんとうの日」じゃない気がしていた。
そういう感覚は、じつは今もある。このところ、ほんとうの日を全然過ごしていない気がする。ほんとうじゃない日に馴染んでしまって、何がほんとうなのかわからなくなりそうだ。

静子の日常 (井上荒野)p89

そう思うのは、(静子の息子)愛一郎の妻で、るかの母親である薫子かおるこだ。
仕事とはいえ、会いたくもない出版社の担当のもとへ出向く時、ずる休みをした子供時代とともに、ふと振り返る。それもつかの間すぐに現実に立ち返り、薫子かおるこは地下鉄の階段を下りていくのだ。

そういえば、町内会の集まりとか、愛一郎が子供の頃に経験した父兄会の付き合いとかは、似たようなかんじじゃなかったかしら。それとも(と、静子は、微かに戦慄した)この感じが、この世そのものということかしら。私は七十五歳にして、この世がどういうところかを、知ろうとしているのかしら。

静子の日常 (井上荒野)p112~113

静子が通うフィットネスクラブで、ひとり浮いた存在の女性がいる。以前は数人のグループと一緒に行動していたのに、今はいつ見ても一人でポツンとしている印象である。その女性がバスに同乗していて、前に座る静子は後ろからの視線を感じながら、「かすかに戦慄」するのだ。
それはこの「日常」から突然はるか彼方かなたへと跳躍ちょうやくし、いきなり人の世の深淵しんえんに触れてしまった感覚を抱くからである。

オレって何気ない「日常」の中からも、こんな存在の真理を抽出しちゃうんだぜぃなどと志賀直哉あたりが書けば、嫌味なっちゃなぁと思うところだ。
しかし静子は、頭に浮かんだ思いをそれから先に進めることはせず、後ろから視線を送る彼女が仲間外れにされているのだとしたら、「その理由がまったくばかげたものであるのは間違いないわ」とだけ思う。

十三が死んだとき、正直言ってほっとした。
ほっとしたのに、今頃になって、(どうして死んじゃったんですか)などと思うことがある。不思議なものだと静子は思う。不思議なのは心か、それとも過ぎていく時間か、あるいは生きていくことだろうか?

静子の日常 (井上荒野)p89

夫の十三じゅうぞうは酒を一滴も飲めず、静子は自分への忠誠から50年間、アルコールを口にしなかった。
十三じゅうぞうの死と共に十三じゅうぞうの妻であることをやめる決心をしていたので、通夜のあと手酌てじゃくでビールを飲み始める。
そうでありながら(どうして死んじゃったんですか)などと、時に問う。

こういう心理は、僕のような男にはなかなか理解しにくい。
静子自身もそれを「不思議」と感じ、しかしその「不思議」がどこから湧いてくるのか、把握できぬままにいる。
静子の「日常」は、そのようにして過ぎていく。

「行ったことのないところに、行ってみるのよ」
静子は答えた。
「自分でもそれがどこだか、行ってみるまでわからないから、行き先が言えないのよ」
ふうん。るかは曖昧に頷いた。よくわからなかったが、心配しなくても大丈夫なのだろう。おばあちゃんは幸せそうに笑っているから。

静子の日常 (井上荒野)p224

生と死の曖昧な境界を示唆しているかのようで、単にそれは静子の日常の行動パターンを述べているに過ぎない。
孫のるかは、そんなおばあちゃんとの会話の積み重ねをかてに、静子とは異なるこれからの未来を歩んでいく。

おとうさんは、過去形で喋っていた。ということは、おばあちゃんの「いろいろ」は、もう終わったということだろうか。一度終われば、「いろいろ」はもうすっきりなくなるものなんだろうか。

静子の日常 (井上荒野)p132

るかの自問は、今の静子がそうであるように、彼女の未来に待ち受ける答えとして紡がれていくのだろう。
生きる答えはいつも「日常」の中にあって、でもそれは具体的な姿かたちを成さないままに、たいがいは誰も気づかぬままるのだ。

それなら、それでいい。
「静子の日常」は、時にふと頭をよぎるほのかな想いや微かな戦慄と共に、こともなく過ぎていく僕たちの日常でもある。

イラスト Atelier hanami@はなのす 

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