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祭りのあとに

昨日の「井戸端会議」は寂しかった。
まず、急逝きゅうせいしたヒロシさんがいない。先月はお元気で引きこもりクンにエールを送っていた人が今いないという実感を、こういう機会あるごと深めていくのかもしれない。

広報紙のメンバーは僕を入れて5人になったが、うち2名が欠席している。
お一人は体調不良の電話が入り、もう一名は最近、なんの連絡もなく欠席が続いている。

「井戸端会議」は広報紙存続のための試みとして去年から始めたわけで、主催者側がこうなってしまっては、主旨から外れているような気がする。
だからと責める気にならないのは、お二人とも亡くなったヒロシさん以上の年齢で、気力体力とも落ちているのが、目に見えて分かるからだ。

毎回顔を出す女性陣も、今回は不在だ。事故に遭って全治3か月の重傷を負った人や、旦那さんの調子が悪くなり、家を空けられなくなった方もいる。
高齢者中心の定例会を始めてまだ1年にも満たないが、人の世の無常をひしひしと感じる。

一方で、自治会三役が初めて、そろって参加してくれた。
これは大変ありがたい。僕自身は広報紙が自治会と連携することを、以前から主張してきたからだ。

20数年来、毎月全世帯(現在220戸)に配布してきた功績は立派な限りだが、編集員のみがネタを考え、地元民だけを対象に取材する従来のやり方は、とうに限界を迎えていた。
(数は少なくとも)せっかくある企業を巻き込み、地区外に住むご家族であっても紹介すべき特性があって関連付けられるのであれば、どしどし載せるべきと述べてきた。

前編集長のヒロシさんは、一貫してこれに否定的立場だった。
(初代編集長による)創刊の精神が、あくまで集落の人と場所に限定するとしていた以上、自分の代でその方針を変えるわけにいかないというわけだ。

商業紙のように利潤を追求する性質のものでない以上、発足の理念を大事にしたいとする姿勢を、一概に否定は出来ない。ただ、このままだと先細りしていく一方だし、いきなりじゃなく少しずつの変化であれば、マズいと思ったときすぐに引き返せるんじゃない?と、言い続けてきた。

今年度から、そのヒロシさんが僕を編集長に指名した。
去年の今ごろなら「(広報紙は)もうキリのいいところで終わらせるんだ」なんてテンパってたのが、構成能力抜群の女性がメンバーに加わり、ご自分も編集長を降りた途端、「スんげぇ気が楽になった。毎日よく眠れるよー」って、毎日どころか永遠に眠ってしまったわけである。

昨日、三役さんを前に、今後の広報活動方針について私見を述べた。
メンバーの承認がない以上、あくまで個人の考えである。しかし実質的に主体となって活動している3名が同席し、今の僕は編集長なんである。今後これでやって行くぞと宣言したところで、越権行為とまでならないだろう。

今後、広報紙に自治会報告の枠をもうける。とくに今後の予定に関しては極力きょくりょく事前に告知し、地域住民の参加を促すことにしたい。将来的には空き家情報も掲載し、地域での情報の共有と、家を探している人に繋がる機会を少しでも広げていきたい。

プライバシー重視の観点から、これまで地域の外に一切配布していなかったが、取材対象者には事前に許可を頂き、あるいはこれまでの個人主体の記事から公共性高いものに比重を移し、交流館などにも設置可能としたい。

営利に触れるものは一切掲載しないとの立場でいたが、同じ地域に所在する企業に働きかけ、まめに広報し一方で何かの催しの際には協賛を願うなど、開かれた関係性を構築したい。さきの盆踊り大会など、企業側は声がかかるのをむしろ望んでいたとの話だ。
企業の繁栄は、それだけ地域にとっても雇用の機会が生まれることにつながる。活かさぬ手はない。

盆踊り当日、自治会長のもとに今年が最後と知った壮年の男性がやってきて、「来年はぼくが主催者になります」と告げたそうだ。
同年代の仲間もいるし、やぐらの組み方を指導してもらい、踊り愛好会の協力があれば、あとは任せてもらって大丈夫だという。今までは遠慮があって、言いたくても口にしずらかったそうだ。

ほらほら、高齢者諸君(ワシも3年後、お仲間入りするわけだが)。
自分の殻にばかり閉じこもっていないで、周知すればチャンスは巡ってくるもんだぞ。
祭りの後は寂しいもんだが、次を見据えて動き出せば、途切れることなく未来まで、祭りは続いていくかもしれんじゃないか。

イラスト Atelier hanami@はなのす

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