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命の水
新幹線の窓から、台湾最大の穀倉地帯に生まれ変わった嘉南平原を見渡すと、青々とした田園が広がっている。そこに「嘉南大圳の父」八田與一の義の精神が眠っていることを、台湾人は永遠に忘れないであろう。
八田の精神を後世に伝えるため、工事に携わった人びとは彼の銅像をつくり、烏山頭ダムのほとりに置いた。戦後、国民党政府は日本統治時代の銅像や碑文は破壊して回ったが、その魔手から逃れるため、八田の銅像は倉庫に眠ったままになっていた。元の位置に戻されたのは、1981年になってからのことである。
片膝をつき、右手で髪をつかむ八田の銅像は、考え事をしている往時の姿を模したもので、その魂はいまも「嘉南大圳」の水の流れを見つめているのであろう。私は戦後、台湾人が八田の銅像を守り抜いてきたことを心から誇りに思っている。
司馬遼太郎さんは、明治国家の興隆を描いた大著『坂の上の雲』の書き出しを「まことに小さな国が、開花期を迎える」とした。今日の台湾の国土は、九州より狭く、いまなお人口は明治期の日本に及ばない。国連にも加盟していない。「まことに小さな国」なのである。
しかしわれわれには、近代化と民主化の過程で育まれた「台湾精神」がある。この「台湾精神」があるかぎり、わが台湾は不滅である。
そして日本の皆さんには、ぜひ「義を見てせざるは勇なきなり」の武士道精神で、台湾の新たな国造りを見守ってほしい。
日本は精神文明の面においても、モラルの面においても、アジアのリーダーになりうる唯一の国であることを忘れてはならない。明治維新を成し遂げた日本は、東西文明の融合地として、いまなお台湾が見習うべき偉大な兄なのである。
東アジアのいっそうの安定と平和のために、日本と台湾が手を携え、共に歩んでいくことが私の切なる願いである。【李登輝(元台湾総統)】
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烏山頭ダムの有効貯水量は、1億5000万立方メートル。
(これに濁水渓の水も加えた)豊富な水が、網の目のように張り巡らされた給排水路を伝って農地に注ぐ。総延長1万6000キロは地球を半周する長さだ。八田はこの大事業を、大型機械を輸入した以外はすべて国産の技術で成し遂げた。
嘉南大圳の完成によって、それまでわずかな畑地と天水田しかなかった嘉南平野は一転、肥沃な農地に生まれ変わった。
注目されるのは、ここで営まれた「3年輪作農業」である。
サトウキビ・水稲・畑作物を1年おきに輪作するこの農法は、区ごとに作付けをずらす周到な配水計画が必要とした。1世紀が過ぎた今も継承されているというから、その完成度の高さは驚嘆のほかない。
台湾の食糧難を救ったと言って過言でない日本の偉人が、教科書に載ることはない。
そして八田與一の技術と精神をはぐくんだのが、奈良時代の行基や和気清麻呂に始まる、河川技術の基礎をつくった先人たちである。
空海、武田信玄、豊臣秀吉、加藤清正、そして江戸時代を迎え、今日の治水の礎が築かれていく。
日本が世界に類のない水資源国になったのは、自然に恵まれていたばかりが理由ではない。
氾濫を繰り返し、民と家屋、田畑までを飲み込んでいく自然の脅威と折り合いをつけ、長い時間をかけこれをコントロールしてきた先人の業績ゆえである。
このかけがえのない財産を存外に扱い、蛇口をひねれば水が出るのは当然と思う傲岸不遜を改めない限り、未来に禍根を残すことになりはしないか。
水は命の源であり、その源を豊かに育んできたのは、現代を生きる我々ではないのだ。
イラスト hanami🛸|ω・)و
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