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性の超先進国

日本において「男色なんしょく」は古代から存在し、容認もされている。記録に残るものとして、鎌倉時代以前までさかのぼる。
その時代は特権階級の記述ばかりであって、庶民の記録はない。それとても、あまりに自然のことであったからと考えられている。
昔から日本人にとって「男色」は、当たり前のものでもあった。

江戸時代前期に井原西鶴いはらさいかくが記した浮世絵草紙『男色大鏡』によれば、(今は女神でも当時は男神とされていた)天照大神アマテラスオオミカミが、日千麿命ひのちまろのみこと衆道しゅどう(男色の意)によって愛していたと記載されている。
さらに伊耶那岐命イザナギノミコト伊耶那美命イザナミノミコトの夫婦の神様が誕生するまでは男神ばかりだったため、日本の神々は男色を楽しんでいたと西鶴は主張する。
日本の男色の歴史は、神代かみよの時代に始まっていたわけだ。

『日本書記』、『万葉集』や『伊勢物語』、『源氏物語』などにも男色についての記載があり、当時から男色が当たり前だったことがわかる。

奈良時代の僧侶が読んでいた『四分律しぶんりつ』という経典には、性行為を戒める「婬戒いんかい」について書かれている。
この書では異性・同性に関わらずあらゆる性行為が禁止されていたが、仏教では女性との性行為を嫌う性質の方が強く、徐々に男色を許す文化が発展していった。
そのため、稚児ちごを神格化する「稚児灌頂ちごかんじょう」という強引な儀式まで生み出し、男色を正当化する“立派な”言い訳としている。

室町幕府を率いて南北朝を統一した足利義満あしかがよしみつは、貴族や僧侶から男色を含むあらゆる文化を積極的に取り入れ、のちに流行する武士特有の男色文化「衆道しゅどう」のいしずえを作っている。
衆道しゅどう」とは、主君と小姓こしょう(将軍のそばに仕えた者)の間で交わす男色のちぎりで、肉体だけでなく精神的な結びつきの意味もあった。

室町時代には美女が主役の「女猿楽さるがく」とともに、美少年を使った「稚児猿楽さるがく」が生まれ、稚児が酒席で多くの人を楽しませ、一夜をともに過ごすこともあったらしい。
宣教師フランシスコ・ザビエルは、一神教と一夫一妻制、そして男色の罪を日本人に説明することの難しさを、本国への手紙で嘆いたそうである。
江戸時代に来日した朝鮮通信使・申維翰しんゆはんは著書『海游録』の中で、男娼だんしょうの色気は時に女性を上回るとつづってもいる。

では、レズビアンはどうであったかと言えば、文献ぶんけんはきわめて少ない。
考えられる理由として、江戸時代までの文筆家や絵師はほとんどが男性で、女の園に隠された恋愛を知るものが少なく、書物に記録されることが少なかったということ。
需要のある男性側に、レズビアンの恋愛描写を好む者が少なかった・単純に関心がなかったことも、理由の一つと考えられる。

実際には、男子禁制の女の園「大奥」や江戸吉原の遊廓ゆうかく、女牢の中などで、レズビアンは少なくなかったと言われている。
浮世絵にも、一方の女性が男性器を模したアダルトグッズを装着し、行為に及んでいるものがある(当時、アダルトグッズは海外からの輸入が多かった)。こういった器具が存在する時点で、一定数の需要があったことがわかる。

織田信長は、秘書的な役割も負った森蘭丸、前田利家との関係があったとの説が有力視されている。

武田信玄は弥七郎という小姓に手を出したことがばれ、自分の愛人(男)に釈明の手紙を送っている。

伊達政宗も恋人の小姓に当てた恋文を残している。政宗は男色を誇りとし、少年と契りを交わすたびに自分の体に傷をつけ、その証にするといったかなりのマニアだったようだ。そこには一種のマゾヒズムまで見てとれる。

徳川家康は忠臣の一人である井伊直政の美しさに魅了され、関係を持ったと記述がある。家康はバイセクシャルの典型だろう。

松尾芭蕉は恋仲の弟子と一緒に旅に出ることが多く、「寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき」「草の枕のつれづれ二人語り慰みて」などとんでいる。してみると奥の細道って、どこの細道やねん。

”文明開化”の明治維新まで、日本は性に対し、いかなるタブーも持たずにやって来た。
技術はともかく、倫理において明確に劣る西洋文化を採り入れたことで、かつての大らかさは影を潜め、おかしなタブーばかりが押し付けられるようになっていく。

それでもなお、かつての名残からか、「オカマ」や「オネエ」さんはテレビの全盛期から今日に至るまで、お茶の間の人気者であり続ける。
現役タレントに限っても、マツコ・デラックス、IKKO、はるな愛、ピーコ、クリス松村等々、僕が知っているだけでも枚挙にいとまがないくらいだ。
クリス松村が語る歌謡曲のネタなんて、あまりのセンスの良さにいつも魅了されてしまう。

人類が学ぶべきは、江戸時代までの日本の性文化だろう。そこにタブーはなく、迫害の歴史もない。性の多様性が、まさしく実践されていたわけだ。
よりによってそんな性の超先進国に、「LGBT理解増進法」などと理解しがたい法律をつくる必要が、なぜあったのだろう。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす



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