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桜の年度

早いもので、来月から新年度になる。
ねん」が1月1日から12月31日までの1年間、つまり暦年れきねんのことを指すのに対し、「年度」は暦年れきねんと異なる区分で定めた期間になる。

年度で一般的なのは、4月1日 ~ 翌年3月31日までを1年間とする区切り方。
国や地方自治体の会計年度かいけいねんどは、この区分を採用している。学校年度がっこうねんども同じ区切りとなるため、僕たち日本人は子供の頃から知らず知らずのうちに、「年度」に馴染なじんでいる。

海外における会計年度を見ると、ヨーロッパ、中国、韓国は1月。アメリカ(北アメリカ)は10月に開始される。
学校年度となると多種多様で、スリランカ、バングラデシュなどは1月。ウガンダ、モザンビークなどは2月。タイが5月なら、カンボジア、ギニアなどは10月と(11月・12月を除く)毎月どこかの国で新しい年度が始まっている。
ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、中国といった大国の学校年度が9月だからと言って、日本もそれに合わせるべきだとおっしゃるどこぞの知事さんもいるが、ちょっと浅薄せんぱくに過ぎないか。
各国、異なる歴史や気候の違いなどから、年度は定まってきたはずだ。
過去より積み上がった事情や背景を抜きに、他国の文化に合わせることだけを効率的と考えているなら、地方行政のトップとしては頂けない。

日本に年度の考えが入ってきたのは、明治時代からだそうだ。
会計年度の初日が4月1日となったのは、1886年(明治19年)のこと。
当時の日本は農業国で、江戸時代の税金(年貢)はこめによる納付だった。

それが明治から、現金で納める金納に変わる。
たみが米の収穫を終え、その米を売って現金に換え、納税する流れだ。政府は現金を徴収したのち、予算編成にかかる。
12月末で区切り、1月を新年度とすると、以上の手続きを踏むことからスケジュール的に間に合わないため、4月に会計年度が設定されたという。

江戸時代の寺子屋や藩校、明治初期の学校では、入学時期や進学時期について特定の決まりはなかった。
明治になって西洋式の教育制度が導入され、一斉入学、一斉進級がられるようになる。この時の入学時期は、実は9月だった。ドイツやイギリスの教育制度を参考にしたためといわれている。

なぜ4月入学になったかというと、学校側が政府から運営資金を調達するのに、国の「会計年度」に合わせた方が都合が良かったというもの。
もうひとつは、士官学校の入学時期が4月に変更となり、9月始まりだった一般の学校は「優秀な若者が陸軍に先取りされてしまうかもしれない」と考えたこと。
そこでこぞって4月始まりへと変わっていき、大正の頃に、学校年度は完全に4月始まりとなったそうだ。

以上の歴史的経緯からすれば、4月を「新年度」にした根拠は大したものではない。関西の知事が主張するように、大学を秋入学に替えても歴史的・理念的な問題はないのかもしれない。

一方で、いにしえより日本人の死生観に繋がる桜の開花とその散りゆくときに、わが国の「年度」はぴたりと符牒ふちょうが合っている。

桜の潔い散り際は「死に際」に直結し、死は「節目」であり「けじめ」となる。
僕たち個としての「死」は、通り過ぎていくことを前提とした「通過点」に過ぎない。それは「終着点」ではなく、むしろ新たな「旅立ち」となる。

旅立つ者と、これから旅に向かう者の節目の時を「年度」終わりと始まりに置き換えるなら、日本の新年度には、やはり4月が相応ふさわしい。
桜をでて、その姿から自らの「旅立ち」と子孫繁栄に想いをはせる。
日本人なら、それがいい。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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